関東大震災の鎌倉 その3

 

―津波1―

 津波は第2震の前後2回にわたって襲来しました。被害は1回目よりも2回目の方がはるかに大きく、 海水は急激に引き、やがて沖合から黒褐色を帯びた大波が押し寄せたといいます。 以下、『鎌倉震災誌』に記された各区の経験者の談話を紹介します。

坂ノ下
 稲瀬川付近で第2震のおよそ20分後、海水は遠く引き去りはるか沖合に黒光りした大波が大音響を立てていた。 その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、気がついた人々は辛うじて逃げ去った。 家屋や護岸が流された。
 なお、坂ノ下や現由比ガ浜方面については、「関東大震災の鎌倉 その1」の写真から、 海岸線の被害状況をうかがうことができます。

極楽寺
 第2震の20分ほどのち、海水は江の島の東端より三浦半島に向って一直線を引いたと思われるあたりまで引き去っていた。 ところが見る見るうちに3m以上の大波が襲来し由比ヶ浜方面に向ったが、その余波は極楽寺川にも浸入した。 再び海水は引き去り、夕方には500m位沖まで引いていた。
 翌朝は潮が満ちていたが、砂浜は広がっていた。極楽寺の人家はいずれも高所にあったためか、 ほとんど流されてはいなかった。

乱橋材木座
 津波は最初、砂浜を没して岸壁に衝突し豆腐川に浸入したが、急速に400m位沖合まで引き去った。 和歌江嶋が長く半島状に露出するとその約20分後再び来襲して、豆腐川を中心として付近一帯の人家や岸壁を破壊した。 海水は補陀洛寺辺りまで浸入して電柱を没した。

 以上から、最初に海水が引いた距離はおそらく500m以上で、高さは7〜8m、江の島の沖から由比ヶ浜方面を向いて襲って来たと思われます。滑川では海岸橋が破壊され、 橋上方の低地より東方一帯の田畑に海水が入りました。また、材木座の南側では補陀洛寺境内に達し、 長谷では稲瀬川から由比ヶ浜駅を越えて県道付近まで浸入、坂ノ下では県道北側の人家を流したといわれます。 (『鎌倉震災雑誌』より)

浪川幹夫


写真1 鎌倉大震災の惨状 由比ヶ浜つなみの跡
写真1 絵葉書「大正十二年九月一日 鎌倉大震災の惨状 由比ヶ浜つなみの跡」

写真2 坂ノ下・新宿海嘯跡
写真2 「坂ノ下・新宿海嘯跡」 鎌倉市中央図書館蔵

写真3 坂ノ下海岸海嘯跡
写真3 「坂ノ下海岸海嘯跡」 鎌倉市中央図書館蔵


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