古き鎌倉再見 その9

明治初年頃の社寺の風景(1)

 今回から、明治初年頃の鎌倉の社寺の姿を紹介します。


写真1 “KOMIODJI TEMPLE GATE, KAMAKURA(明治初年の光明寺山門)”
『ザ・ファー・イースト』1872年4月1日号(旧暦明治5年2月24日)
(横浜開港資料館蔵)



写真2 光明寺本堂 明治時代
  (鎌倉市中央図書館蔵)


 光明寺は浄土宗大本山で、正式には天照山蓮華院(てんしょうざんれんげいん)光明寺といいます。開基は北条経時(つねとき)、開山は記主(きしゅ)禅師然阿良忠(ねんありょうちゅう)です。寺の創建については諸説ありますが、仁治元年(1240)佐助ケ谷に開いた蓮華寺が最初といわれ、のち現在地に移り光明寺と改めたと伝えます。江戸時代には徳川家康が浄土宗学問所関東十八檀林を定めた際、第一位となり栄えました。
 二つの写真は明治初年頃の撮影で、写真1は山門を写したものです。また、写真2は本堂です。
 ところで明治になりますと、国家の一大事業として6年(1873)4月15日鎌倉で陸軍最初の天覧対抗演習が行われましたが(後述)、その準備のため、2月14日から教導団歩兵第一・第五両大隊が建長寺のほか当寺に分宿しました(『明治天皇鎌倉行幸御事蹟』昭和3年 相羽清次編)。寺域も広大で、建長寺や円覚寺などと並ぶ鎌倉屈指の大寺院であったため、当所が選ばれたのかも知れません。

浪川幹夫

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