古き鎌倉再見 その22

― 鶴岡八幡宮周辺(明治末頃の若宮大路と小町通りのあたり) ―

 写真1は明治末頃の二の鳥居前。 若宮大路の両側には松並木が八幡宮に向かって続いています。  写真の下には解説があって 「若宮大路(其一) 鎌倉の若宮大路即ち今の八幡前通なり。 此図は警察署の前より八幡宮の方を望めるもの。 正面に在るは二の鳥居なり」 と書かれており、この資料は当時の二の鳥居あたりの景色を良く伝えています。
 また、左角は「堺屋」と称した雑貨小間物商といい、右側の建物は大弓場だったそうです。
 ところで現在の若宮大路は、すべてではありませんが、二の鳥居辺りから海岸橋までの道路敷が国の指定史跡になっています(段葛は県指定史跡)。 昭和10年6月7日に指定され、「指定理由書」には 「鶴岡八幡宮社殿より由比ヶ浜に至る参道を若宮大路と称し、寿永元年(1182)三月源頼朝の開鑿(かいさく)に係り、鎌倉幕府の重要なる史蹟たり。 今に道路の両側に松並木ありて風致を添う」 と記されています。 この点からすれば、すくなくとも昭和10年代まではここに松並木があったことがわかります。

 写真2は現在の小町通り、鉄井戸(くろがねのいど)辺りの明治末頃の景と思われます。  写真には 「和田舘址(其二) 鎌倉八幡前通りなる和田舘址を裏手より望めるもの。  此図の左に見ゆるは大石平左衛門氏の裏門にして和田義盛の墓其中に在り」 とあって、画面左の門が前回紹介しました大石家の裏門になるかと思え、 この家の敷地内には和田義盛の墓と称される墓碑があったといいます。
また、明治29年(1896)刊の銅板図「相摸国鎌倉名所及江之嶋全図」(鎌倉市中央図書館蔵)を見ますと建物が続くのは若宮大路沿いのみで、 その両側は田や畑であったことがうかがえます。
写真:明治末頃の若宮大路「若宮大路(其一)」
写真1 明治末頃の若宮大路「若宮大路(其一)」
『日本史蹟(天,月之巻)』熊田葦城 大正二年修訂再版 昭文堂 より

写真:明治末頃の鉄井戸周辺(推定)「和田舘址(其二)」
写真2 明治末頃の鉄井戸周辺(推定)「和田舘址(其二)」
『日本史蹟(天,月之巻)』熊田葦城 大正二年修訂再版 昭文堂 より


浪川幹夫

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