古き鎌倉再見 その21

―鶴岡八幡宮周辺(明治末頃の若宮大路)―

 写真1は明治末頃の若宮大路。現在の清川病院あたりから望んだ景でしょうか。画面下に説明があり、

「和田舘址(其一) 和田義盛の舘址は鎌倉若宮大路即ち今の八幡前通の西側に在り、大石平左衛門氏の住宅のあたりは即ち其一部なり。此図は八幡前通の表より写せるもの」
と、書かれています。
また、写真右側にある瓦ぶきの大きな建物は「三橋出張」です。長谷にあった大旅館の三橋旅館の別館で、大橋良平が著わした『現在の鎌倉』(明治45年 通友社)に、
「鶴ヶ岡八幡の境内を出でゝ三の鳥居に戻れば、赤橋の東に三橋旅館の支店たる薄水色に塗り上げた和洋折衷の三層楼と軒を並べて角正旅館がある」
とあって、三階建ての豪壮な建物であったことがうかがえます。
さらに、その手前は江戸時代に薩摩藩の旧本陣「大石平左衛門」の家で、ここには明治時代になると比較的早くに郵便局が置かれました。前面にある土が盛り上がった通路は段葛で、画面左側の樹木は桜でしょうか。なお、桜が段葛に植えられたのは、この頃のことと言われています。

写真2は、その下に
「若宮大路(其二) 鎌倉八幡前通り即ち若宮大路にして警察署前より南の方を望めるもの。即ち鎌倉駅前の真景なり。此の辺当時の戦場なり」
とあります。
二の鳥居あたりからの景でしょうか。画面中央の広い道は若宮大路で、左側は段葛。右側には松並木が海に向かって長々と続いています。そして、奥に小さく見えるのは江ノ島電気鉄道(江の島)の車両です。江ノ電が小町終点まで全線開通したのは明治43年の10月のことであり、電車が停まっている所はおそらく駅前にあった小町の停車場でしょう。

写真:明治末頃の若宮大路「和田舘址(其一)」
写真1 明治末頃の若宮大路「和田舘址(其一)」
『日本史蹟(天,月之巻)』熊田葦城 大正二年修訂再版 昭文堂 より

写真:明治末頃の若宮大路「若宮大路(其二)」
写真2 明治末頃の若宮大路「若宮大路(其二)」
『日本史蹟(天,月之巻)』熊田葦城 大正二年修訂再版 昭文堂 より


浪川幹夫

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