古き鎌倉再見 その19

―稲村ヶ崎の辺り―

 稲村ヶ崎の景と井上馨
 写真1は稲村ヶ崎を七里ヶ浜から望んだ景。左下に"B 157 INAMURAGASAKI, KAMAKURA"と焼付けたタイトルがあります。この写真は、明治40年11月30日に横浜ホテルで行われた「東京大学医学部別課医学科卒業者」同窓会の引出物アルバムに鎌倉・江ノ島・金沢八景・箱根等の古写真と共に収められた内の1枚で、英文の焼付けタイトルからファサリ商会が明治時代に撮影(販売?)したものと推定されます。画面手前の左端にはかやぶきの漁師小屋が建ち、その先に海に突き出した稲村ヶ崎が見えます。岬の先端は人工的に平らに削り取られたと思え、そこには数棟の和風建物が整然と並んでいます(写真2)。これら和風建築群は長州藩出身の元老井上馨(いのうえかおる・1835〜1915)が所有した別荘といわれています。
『毎日新聞』の明治20年12月10日及び21年8月16日の記事のほか、伝記『世外井上侯伝』は21年8月21日に彼の稲村ヶ崎の別業(別荘)が落成したことを伝え、『鎌倉江嶋名勝記』(明治23年南里俊陽著)には「稲村ガ崎ハ、(中略)其突出シタル所ニ井上伯爵ノ別荘アリ、眺望ニ富ム無二ノ勝境ト謂フベシ」などと書かれています。また、「旧土地台帳(登記簿)」には、極楽寺字金山286番1,287番,288番,289番,1089番の所に「井上馨」の名があり(明治28年まで)、写真に見える建物群がある場所が彼の所有であったことが確認できます。
 井上は鹿鳴館の建設を発案するなど欧化政策の中心人物であり、当地のほか、明治16年頃金沢の富岡海岸に、19年には群馬県磯部温泉に、29年頃からは静岡県興津にそれぞれ別荘を所有しました。

写真:明治時代の稲村ヶ崎(個人旧蔵)
写真1 明治時代の稲村ヶ崎(個人旧蔵)

写真:明治時代の稲村ヶ崎(個人旧蔵)部分拡大
写真2 明治時代の稲村ヶ崎(個人旧蔵)部分拡大


浪川幹夫

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