古き鎌倉再見 その17

―材木座の辺り1―

 材木座は古くは乱橋材木座村といわれ、現在の材木座のほか由比ガ浜の大半がとりこまれた地域でした。
 写真は明治時代の古い頃の滑川河口付近と推定されるものと、海岸橋の景です。写真1には川の岸辺にかやぶき屋根の家と、別荘らしい建物が各1棟写されています。写真2は河口間近と思え、両岸にアシやヨシが生い茂っています。鶴岡八幡宮が所蔵する明治4年(1871)の「鶴岡八幡宮境内絵図面」によれば、河口は現在よりも広く東岸には広大な湿原があったことがわかります。
 写真3は明治時代の海岸橋。遠くに材木座の家並みが見え、その手前に湿原が広がっています。この橋は木橋で、国木田独歩(1871〜1908・小説家、詩人)の代表作「鎌倉夫人」に背景のひとつとして描かれています。ところで独歩は、明治二十八年に佐々城信子と結婚して逗子の田越村桜山(現、逗子市桜山)の柳屋に住みました(翌年離婚)。独歩の手記「欺かざるの記」が、この間の事情をよくつたえています。

写真:明治時代初期の滑川河口付近(推定)(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 明治時代初期の滑川河口付近(推定)(鎌倉市中央図書館蔵)

写真:明治時代初期の滑川河口(推定)(鎌倉市中央図書館蔵)
写真2 明治時代初期の滑川河口(推定)(鎌倉市中央図書館蔵)

写真:海岸橋 (熊田葦城『日本史蹟』昭文堂 より)
写真3 海岸橋 (熊田葦城『日本史蹟』昭文堂 より)

 写真のタイトルに「海岸橋 鎌倉海岸通より材木座に架せらるゝものにして橋下を流るゝは滑川なり、
図中の前面は大町大路にして土屋義清等の足利義氏と戦ひたるところ」と記されています。


浪川幹夫

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