古き鎌倉再見 その16

―由比ヶ浜の辺り―

 明治12年(1879)ドイツ人の「お雇い」医学者ベルツによって七里ヶ浜が紹介され、鎌倉は保養地として脚光を浴びることになりました。このため内外の行楽客も訪れるようになったと思え、13年には長谷の三橋旅館の主であった「郷父老三橋小左衛門」らによって大仏坂が広げられ(「重修大仏坂記」碑・大仏門前)、さらに、18年(1885)3月25日の『東京横浜毎日新聞』には、三橋旅館が私設の海水浴場をつくって宣伝した「海水浴御馳走広告」も出されています。

「海水浴御馳走広告
 弊家儀従来旅亭営業罷在候処、各位ノ御引立ヲ以日増ニ繁栄仕奉厚謝候、就テハ御礼トシテ此度由井(比)ケ浜海水浴ヲ設ケ御馳走仕度候間、 何卒旧ニ倍シ御入湯旁陸続御来車ノ程伏而奉冀上候、尤モ御賄ノ儀ハ精々御嗜好ニ相叶候様尽力可仕、 且御滞在御入浴ノ御方ハ別段ノ方法ヲ設ケ御簡便ニ御賄方可仕候条、一層御愛顧ノ程千万奉懇祷候也、
相州鎌倉長谷観音大仏前 三橋与八」

 ところで、由比ヶ浜も長谷に次いで早くから開けたようで、20年には海浜サナトリュウムの走りともいうべき「海浜院」(のちの海浜院ホテル)が同所の松林に創設されました。
 写真は高台より由比ヶ浜方面を見下ろしたものです。遠景に飯島、逗子、葉山が霞んでいます。左に見える洋館を含む建物群は海浜院(拡大写真)。中景の松林は塔の辻から稲瀬川へ出る道で、手前の直線道路は海岸通りでしょう。
 海岸通りは鉄道開通に備えてつくられた新道といいます。明治20年(1887)12月に開通し、この頃には海岸橋も架けられたようです(『図説 鎌倉年表』等)

写真:由比ヶ浜遠望(鎌倉市中央図書館蔵)
由比ヶ浜遠望(鎌倉市中央図書館蔵)

写真:由比ヶ浜遠望(拡大)
由比ヶ浜遠望(拡大) 「海浜院」


浪川幹夫

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