古き鎌倉再見 その13

―長谷・坂ノ下の辺り3―

 写真は坂ノ下の御霊神社(ごりょうじんじゃ)です。
 源義家(1039〜1106?)の従者として後三年の役(1083〜1087)に勇名を轟かせた鎌倉権五郎景政(ごんごろうかげまさ・生没年未詳)を祀った神社で、俗に「権五郎さん」とも称され、社伝によれば源頼朝入府以前の創建といいます。
 現在の本殿は大正年間の建立で、この写真の正面に見える旧本殿の位置よりさらに奥まった一段高い所に鎮座します。また、写真の旧本殿は神輿蔵(みこしぐら)として現存しますが、現在の屋根は銅板ぶきになっています。
 ところで、神社の境内には、明治時代の代表的な小説家で詩人であった国木田独歩(くにきだどっぽ・1871〜1908)が一時居住しました。独歩は明治35年(1902)2月8日、それまで住んでいた神田駿河台の西園寺公望(さいおんじきんもち)邸を出て、斎藤弔花(ちょうか・1877〜1950。新聞記者、小説家、随筆家)を誘って来鎌、ここの一棟を借りて自由気ままな生活をしたそうです。彼の作品「鎌倉日記」の同年2月9日の項には、入居したばかりの「小庵」の情景と、当時の鎌倉の印象が描かれています。
 さらに、弔花の『独歩と武蔵野』(昭和17年 晃文社)によれば、 「鎌倉権五郎神社の脇に新建の家がある。家賃は八円。三畳、四畳半、八畳。その界隈は空地で、家主は権五郎神社の神主さん。(中略)鎌倉も場末で、星月夜、古井戸の傍を腰越の方へ細い道が通うてゐる」 と、その家のことがよくわかります。また、古老の話によれば、独歩が居たこの家には「湘南詩社」と記された看板が掛っていたということです。
 独歩が住み、彼が間近に観た御霊神社の本殿は、おそらくこの写真のやしろだったかも知れません。

写真:御霊神社(鎌倉市中央図書館蔵)
写真1 御霊神社(鎌倉市中央図書館蔵)

浪川幹夫

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