古き鎌倉再見 その1

このシリーズをはじめるにあたって

 我が国は明治維新以降、日清・日露の戦役を経て急速に近代化を遂げました。反面、江戸時代までの風土はそれにつれて変貌を続け、戦後の昭和30年代に至って大きく様変わりします。このように、移り変わりの激しい国土においてその景観の元の姿を知り、かつ、近代の文化史や建築史を研究するうえで最も有効な手段となり得るものは、ビジュアルな資料―映像資料ではないでしょうか。
 近世以前を対象とした歴史研究の世界では、古文書等の歴史資料のほかに、生活史などを考究する上での考古学的手法などがありますが、近代ヨーロッパで発明された写真技術は、百年以上もの間古い時代の姿を写し取り、そのままを固定してわれわれに伝えています。また、近世末期には外国人が我が国を訪れ写真技術を伝えるとともに、彼らや彼らに技術を伝授された邦人たちによって、当時の風物や人々の様子などが数多く写されました。
 ところで鎌倉は、ご存じの通り江戸時代中期以降は観光地として、明治時代に至っては観光地のほかに保養地・別荘地として内外に知られました。ことに、日本史に名をのこした華族や政財界の重鎮たちの別荘と、三橋旅館や海浜院ホテル等大規模宿泊施設の存在により、当地が都市と田舎が入り交じった滑稽な風情を呈していたことは、先のシリーズのはじめにお話した通りです。
 このシリーズでは、これら近世末期から明治・大正時代を通じて記録されたものの内、鎌倉の風景、建物や風俗などの移り変わりについて、今までの手法とは替えてよりビジュアルな方法で紹介しようと思います。
 それでは、幕末の鎌倉に来遊した外国人の手による写真や絵画をもとに、それらを歴史資料などとともに比較検討して、当時の鎌倉を復元しようと思います。




写真:幕末の長谷観音参道
写真1 幕末の長谷観音参道。ベアト撮影
“VILLAGE OF DAIBOUTS”(横浜開港資料館蔵)


写真:七里ガ浜から腰越・江の島を望む
写真2 七里ガ浜から腰越・江の島を望む(幕末)。ベアト撮影。
“INOSIMA”(横浜開港資料館蔵)

浪川幹夫

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