鎌倉にゆかりのある方にお話を聞く…第28回 My 鎌倉
今回のゲスト
鈴木敏雄さん
 今年93歳になられる鈴木敏雄さん。園芸家であり、いまだ現役のビジネスマンでもあります。独自の健康法を編み出し実践する鈴木さんは、お世辞抜きにお若く、独学でピアノを演奏、動揺の会を主催するなど、毎日を楽しく送っておられます。こんな人が鎌倉で暮らしていらっしゃることを知れば、またこの街を好きになることでしょう。

「鎌倉で楽しく生きる」

 私は大蔵省を定年で退官した後、昭和37年頃でしょうか、何か出来る仕事はないかと思ってやって来た訳です。ですから、鎌倉の風景や自然に惹かれて、ということではありませんでした。鎌倉は住んでみれば、歴史的には素晴らしくいい土地なのですが、どうもそれだけです。「来てみればなにが鎌倉田舎町じじいとばばあの墓どころ」と、軽口のような歌を作ってしまったほどです。  私が鎌倉に来て、しばらくしてから三菱電機の鎌倉製作所が出来ました。それでそこは人が足りないという話だったので、人を入れる仕事を始めました。経験のある年配の人をどんどん三菱に入れたんです。2、3年やっているうちに100人近くになったですよ 。それから初めて独立したんです。当時、三菱電機の下請は38社。気が付くと下請全体の会長になっていました。三菱で経験を積んだ人を使うのですから、無検査工場という特典をいただきました。初めて本社屋を造ったときも、面倒を見て貰っていた三菱電機の社長が世話をしてくれましたし、おたくが使うのは1フロアだけでよかろう、と3階分を借り上げていただいたりしました。  私は初め土地勘もつても何もない、鎌倉のことを何にも知らない人間でした。 ですから今の会社を私が作ったなんてことは、口が腐っても言えません。出会いを大事にし、その人たちから「鈴木がやるなら援助してやろう」と言っていただいてここまで来たわけです。人間には運というものがありますけれど、すべては人との出会いだと思います。これがいかに大事なことか。それをいつも考えています。  私は今92歳ですが、お陰様で元気にやっています。誰かに言われたからといって、健康法を試すのではありません。私はとても頑固ですから、たとえ医者に言われても自分が納得しないと決して何もやりませんから。その代わり、自分が納得しさえすれば、何があってもやり通します。食事や生活のリズム、体の動かし方などにいろいろな私流の やりかたがあるのですが、この稿ではあまり触れないことにしましょう。 !  ですが、ひとつだけ、最近はじめたハモニカのことを紹介したいと思います。ハモニカをすると、腹式呼吸を覚えるんです。真面目な人は、息を詰めて生活しているように思えます。肺の三分の一くらいしか使ってないのではないでしょうか。パソコンなんてものに夢中になってやればやるほど、呼吸は小さくなります。肺を全部使って、お腹から息をすること を覚えれば、それだけ寿命が延びると思います。お年寄りも今からでも遅くありません 。奥さんとおやりなさい。そうすれば、夫婦で長生きが出来ますから。  私が一番寂しい思いをしたのは、14も若かった妻が2年前にパーキンソン病で亡くな ってしまったときです。出来るうちは私がオムツを取り替えて面倒を見ました。私の家内だから、嫁にも世話にならず、自分がやると言ってやったのです。でも、そのときに痛切に感じました。もしふたりで動けなくなったら、一緒に自殺するっていう人がいるけれど、無理はないなと。ですから、健康ほどありがたいものはありません。健康になると、全てが明るくなるんです。親子喧嘩、夫婦喧嘩がバカらしくて、やる気が全然なくなってしまいますからね。「お父さん、年をとったら面倒みてやるねー」って言ってたのに、先に死なれてしまった。だから今でもお線香あげながら「この嘘つきババア。 なんだよ」って、毎日夫婦喧嘩してます。  東京は、愛想はいいけれど雑把な街です。ですが鎌倉という街には、一人ひとり立派 な人材が揃っています。地にがちっと足がついている。ただ、近所の交際がなにもない ところです。町内会などはありますが、回覧板がまわってくるだけでなにもありません。やはりここに住んでいる人たちは、飲み食いに困らないから、依存心を持たないのでしょう。だから住んではうるさくなく、静かでいいところだとは言えます。けれど、私みたいな田舎育ちには、妙に淋しく感じられます。ですから今でも頼まれると、どこへでも飛んでいって、いろんなことに顔を出すんです。そのためには元気でいないといけない。また、元気だから楽しく生きていけるのだと思います。
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