鎌倉にゆかりのある方にお話を聞く…第12回 My 鎌倉
今回のゲスト
吉田茂穗さん(鶴岡八幡宮宮司)
 前回に引き続き、吉田宮司にお話を伺いました。今回は八幡様の御鎮座記念祭のお話です。

「浄闇に神の動きを感じる 」

 現代のように価値観が多様化し、こうも世の中が激しく変化してくると、誰しも静かな処に身を置きたい、自分の足元を見詰め直したいと、日々の反省と将来への意欲を充足しようという気持になるものです。多くの方が八幡様にお詣りになるのも、そうした想いがあるからでしょう。  神様がいつも居らっしゃる処は神座といってご本殿の最も奥にあります。神様は常には、ここで参拝者を見守っておられるわけですが、私はなにか、感覚として時には動かれるんだという感じがするのです。それが訪れ−音連れであって“気配”として私具は感じ取るわけです。夜のとばりの下りた浄闇に動かれる。本当に周りが暗くなってシーンと静まりかえったそういう浄闇の中に感じるのです。  先日まで、フランスの国営放送局のスタッフが取材に訪れていたのですが、私自身の都合もあって彼らに夜八時頃の境内を案内したんです。本殿に昇って祓えをしてご祈祷をしたのですが、そうしますと、もう身体に何か震えのようなものを感じて仕方がなかった、言葉では言い表わせないような力、エネルギーのようなものを感じたと言うんです。彼らにとって日本の神様は信仰の対象ではありませんが、それでも本当に感動したようで、その時の雰囲気そのものをフランスに持ち帰って皆んなに紹介したいので、一緒に来て呉れませんかというものでした。信仰心を持つということは、霊威とか、気配を感じ取る部分は一緒なんだという事がつくづく分かりました。  そのような浄闇の中に身を置く事が出来るのが12月16日に行われる御鎮座記念祭という祭です。鎌倉時代、建久年間に由来するという八幡宮のこの神事は、厳粛なものです。大石段と舞殿との間の石畳が“祭りの斎庭”になりますが、神職・仕女がそこに安坐して歌を唱い、舞を舞い、神様の、み心を和めるというものです。このお祭りは奉仕する我々も感動するお祭りです。冬の夕刻5時過ぎ、ライトが全て消されると星や月の冷たい明かりだけでは当りの様子は伺い得ません。暗がりの中にかすかに建物の影がたたずみ、手を延ばせば木の枝に触れるような屋外で、神事は庭燎(薪の炎)の火を頼りに進行します。神様の存在を、気配をより間近かに感じ取ることの出来る時間です。私が“人長の舞”を奉仕したのは、もう20年も前のことですが、唯々、有り難たくて涙が止まらなかったことを今もよく覚えています。もともと、御神楽は宵の刻(点燈の時刻)から始まり、「神降ろし、神遊び、神送り」の部分で構成され天体の運行の静かな、しかし確実なテンポで進み、暁の明星をながめながら少しアップテンポになって終る夜を徹して進められる行事です。  八幡宮の御神楽は鎌倉時代から消長を経ながらも今日に及んでおります。現代、神楽歌は、その内容より側面的または精神的なものから、暗黙の遠慮がありまして特別に広報することもしませんし、一般に公開されることも稀ですが、御覧になった方は皆さん大変感動したとおっしゃいますし、その荘厳さは他に類を見ないものと思います。  建久二年(1191)の八幡宮の御遷宮の時、宮廷伶人多好方が、秘曲宮人曲を唱え、神感の瑞相があってその感激は大変であったという頼朝公。この頼朝公により八幡宮の御神楽は始行されたわけですが、その頼朝公が没して来年は800年を数えます。  八幡宮の祭祀を整えた事についてもその偉徳を景仰したいものと思い続けています。
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