庚申信仰と三猿(さんえん)



庚申塔には三猿が欠かせないものになっていますが、もとはまったく別のものでした。
三猿は古代インドで生まれ、東南アジア・中国に広まり、やがて日本に入って、鎌倉時代以降には絵画や彫刻の題材になったとのことです。

三猿が庚申信仰や庚申塔に結びつくのはあとのことです。そもそも室町時代に、山王(日吉神社)信仰と庚申信仰の対象として共に北斗七星があったところから両者が結びついたとする説があります。

やがて室町時代の末期に山王の使者(化神とも)である猿が庚申信仰に取り入れたというのです。したがって、初期の庚申塔にあらわれた猿は三猿ではなく、一匹や二匹で、目・耳・口をふさいだものではなかったそうです。

そして江戸時代、17世紀中ごろに庚申塔に三猿が現れました。庚申の夜に天の神(天帝)に悪事を告げるといわれる三尸(さんし)との兼ね合いで「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が結びついたというものです。

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