平成14年2月から15年8月にかけて、鎌倉市内の庚申塔を現地確認をしながら、毎月「鎌倉の庚申塔」として報告してきました。 現地の確認にあたっては、木村彦三郎著「道ばたの信仰」−鎌倉の庚申塔−(鎌倉教育委員会発行「鎌倉市文化財資料第8集」昭和48年発行)(以下「資料」と略記)をもとにおこないました。 この「資料」はおよそ30年前 にまとめられたものですから、この間の環境変化に対し、はたしてどの程度残っているかが最大の関心でした。 以下は、平成16年11月末時点のものです。 |
1.庚申塔のある場所(地点)の数と変化 |
現在庚申塔のある場所は86地点で、「資料」では84地点です。「資料」にある1地点が移転のためなくなり、3地点が加わりました。 それらは以下の通りです。 いっぽう、「資料」にない3つの地点が加わりました。 |
2.庚申塔の数 | |
今回 308基あることを確認しました。 「資料」の309基からなくなったものが5基、今回の確認で追加されたものが4基です。 | |
なくなったもの5基 (市外への移転を含む) | 今回追加されたもの4基 |
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1.庚申塔の主尊(中心に祀られているもの)別 合計308基 | |||
(1) 像のつくもの 77基 | |||
青面金剛像 (六手が中心、四手のものもあります) 65基 | 阿弥陀如来像 8基 | ||
地蔵菩薩像 1基 | 観音菩薩像 2基 | ||
天狗像 1基 | |||
(2)文字が刻まれているもの 225基 | |||
「庚申」 (庚申塔、庚申供養塔、庚申塚、など) 162基 | 「青面金剛」 (青面金剛、青面金剛童子、青面金剛尊、金剛王など) 35基 | ||
「猿田彦」 (猿田彦、猿田彦大神、など) 11基 | 「堅牢地神」 (堅牢地神、堅牢大地神、など) 5基 | ||
7つの種子 (阿弥陀如来はじめ七つの仏を表す梵字がついたもの) 2基 | 阿弥陀を表す種子 (キリークと発音する梵字がついたもの) 1基 | ||
「帝釈天」 (帝釈天、帝釈天王など) 4基 | 「虚空蔵菩薩」 1基 | ||
「鎌倉権五郎景政」 1基 | 「閻魔王」 1基 | ||
「南無妙法蓮華経」 1基 | 道標として道案内のもの (庚申講による建立のため庚申塔とされたもの) 1基 | ||
不明(破損、表面の風化)6基 |
2.庚申塔の形からみたもの 308基 | |||
駒型 (将棋の駒のような形のもの) 72基 | 板状駒型 (正面から見ると駒型で、うしろが円背のもの) 23基 | ||
舟型 (舟(ボート)を立てたような形のもの) 31基 | 角柱平頭 (上が平らな角柱) 14基 | ||
尖頭角柱 (上が尖った角柱) 26基 | 頂猿角柱 (上に猿がのっているもの) 8基 | ||
笠塔婆型 (上に笠がのっているもの。写真のような曲線をもった唐破風のものが多い) 31基 | 板碑型 (文字通り、板碑の形をしたもの) 3基 | ||
自然石 (平らな石を用いたものや、丸い石など) 96基 | 判別不明 (欠損など) 4基 |
3.建立年代別(年代が判明しているもの224基:「資料」より) |
上記に見るように、1800年から1859年の60年間に建てられた93基に加え、1860年1年で建てられた15基を加えると合計で108基にのぼります。 ”崩れゆく鎖国・幕藩体制の終焉”と呼ばれたあわただしい時代で、鎌倉も相模湾に面していたため外国船にたいする警護がますます厳しくなっていったようです。 下記の「地点」にジャンプして再びこのページに戻る場合は、 左上のツールバーの「←戻る」ボタンで戻ってください。 |
4.鎌倉市の民俗資料に指定されている16件について
下記の各「地点」にジャンプして再びこのページに戻る場合は、 | 左上のツールバーの「←戻る」ボタンで戻ってください。
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5.おわりに |
●シニア通信のメンバーのみなさまはじめ多くのかたにお世話になり、有難うございました。 ●庚申信仰はもはやなくなっているのではないかと思っていましたが、たまたま通りがかりのひとが拝んで通っていったり、お花やお水(ペットボトルの飲料までも)、さらには千羽鶴やおもちゃなどが供えられており、いまでも信仰されているかたがいることがわかりました。 ●昔は庚申の日には身を謹んで迎えたそうですね。 最後に川柳を1つ2つ。 「庚申をうるさく思う新所帯」 「庚申はせざるを入れて四猿(しざる)なり」 |