(左より2番目)
尖頭角柱型

中央に「庚申供養塔」と彫られています。
右側面に、天明八年(1788)、左側面には、「右はせ道 左かまくら道」とあります。

この標識が示すように、鎌倉の中に入る道の分岐点でした。この辺から左に向かうと梶原団地の前の道から(造成以前は、田んぼと、どじょうやザリガニが棲む小川のある田舎道でした)、葛原岡を越え、化粧坂を下るか、一方、県道の左奥にある険しい大仏切通しを越えて長谷にいたる道の分かれ道だったということでしょう。

記録には「この塔は以前は少し東南の川の手前にあった。」とありますが、すでに現在の位置に変わってしまっていますので、「以前」の位置の推測は控えます。