(左より1番目) 駒型
中央に「青面金剛」と刻みます。

寛政十二年(1800)の銘があります。

この年は庚申の年にあたり、16基が立てられ、数としては群を抜いています。


さて、この前年、江戸のある旅館に泊まっていた鳥海某なるものが鎌倉を訪れた折りに坂ノ下の御霊社に詣で、事もあろうに左目を失明したとのこと。これを滝沢馬琴が巷談として書いているそうです。
目を守ってくれるはずの鎌倉権五郎さんもさすがにこのころになると手ぬかりがあったのでしょうか。それともこの人の名前が悪かったのでしょうか。

坂ノ下の御霊社の祭神はいわずと知れた武士の鑑、鎌倉権五郎景正(政)。奥州の後三年の役で大活躍。このとき景正は敵の"鳥海"弥三郎という者に右の目を射られてしまいますが、それにひるまず相手を射倒してしまったとのことです。(中略)その武勇は語り継がれここに祀られることになりました。

巷談とはいえ、出来すぎた話ではあります。