(左より1番目) 駒型
中央に「猿田彦大神」と刻み、下辺に三猿が彫られています。「猿田彦」で三猿をつけたものは鎌倉ではこの塔だけとのこと。
三猿が2組あるのも珍しいのではないでしょうか。

この塔は新しく、明治三十三年(1900)の銘がついています。


この年の記事の中には、足尾銅山の鉱毒の被害者が警官隊と衝突、また田中正造がこの問題について衆議院で質問とあります。
日露戦争も4年後に起こっているのですね。