山 門 復 興 の 報 告 と お 礼 の ご 挨 拶 |
このたび山門の復興がなり、平成23年5月16日(月)に落慶式を行いました。 山門は関東大震災で倒壊したものの、幸いにして篤志家間島弟彦氏により再建され、葛西ケ谷(鎌倉市小町:北条氏終焉の地、東勝寺があったところ)に保存されておりました。 その地が住宅開発されることになったのを契機に、平成13年に解体されて英勝寺に戻り、県の重要文化財の指定も受けることができました。そして平成19年からの建築によって、本年宿願を果たすことができました。 これもひとえに神奈川県・鎌倉市ならびに市民有志・檀家のかたがたなど多数のかたのご支援の賜物であり、ここに深く感謝申し上げます。 経 過・関東大震災(大正12年:1923)で倒壊・部材を間島弟彦氏が買い取る。 ・2年の歳月をかけて同氏の邸内に再建される ・昭和24年(1949)間島邸は似鳥氏の所有になる。 ・平成13年 (2001) 復興活動が始動。山門復興事業事務局が発足。 ・以降、講演会などの催物で広報活動をおこなう。 ・平成15年(2003)部材のまま神奈川県重要文化財に指定される。 ・平成19年 (2007) 7月復元工事開始 ・平成21年 (2009) 12月上棟式 ・平成23年 (2011) 5月落慶式 |
![]() 復興された山門 |
山門はその棟札によると、水戸初代藩主徳川頼房の長子、讃岐高松初代藩主松平頼重が寛永二十年(1643)に建立。
禅宗様を基本に、正面三間(約 6.4メートル)、二層の門。 下層の見所は蟇股(かえるまた)の精巧な彫刻です。 上層には高欄をめぐらし、格狭間風の輪郭をもつ花頭窓があります。 建長寺や円覚寺の山門も同じような様式ですが、圧倒的な大きさで迫ってくるのに対し、身近でやさしく接してくれる門です。 |
![]() 山門上層内部 |
山門の上層には、中央に阿弥陀如来、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩。さらに両脇には十六羅漢が祀られています。現在、十六羅漢は11体で、保存状態の良い4体は鎌倉国宝館に寄託され、1体は(震災のためか)失われています。 |
落慶式の様子落慶式は、平成23年5月16日(月)11時より、落慶法要が浄土宗鎌倉組の式衆のもとで行われ、法要のあとは、 記念式典をおこない、伊藤玄二郎事務局代表の挨拶、松尾鎌倉市長の祝辞、感謝状贈呈、鏡開きをもって終了しました。 |
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呼び掛け人代表 (五十音順)平成23年1月現在 |
作 家 | 安西 篤子 | 前湘南教育会館理事長 | 石井 保治 | |
かまくら春秋社代表 | 伊藤 玄二郎 | 鎌倉風致保存会理事長 | 上野 豊 | |
英勝寺山門復興事業事務局 | 内海 恒雄 | 一草流挿花家元 | 大澤 秀桂 | |
作 家 | 尾崎 左永子 | 青山善光寺住職 | 川名 観恵 | |
国際ソロプチミスト鎌倉会長 | 松本 紀子 | 鎌倉市観光協会会長 | 井手 太一 | |
作 家 | 永井 路子 | 凌波会代表 | 西松 凌波 | |
鎌倉青年会議所理事長 | 菅尾 成彦 | 前鎌倉国宝館 館長 | 三浦 勝男 | |
鎌倉同人会会長 | 山内 静夫 | 国宝史蹟研究会会長 | 八幡 義信 |