金龍水・不老水


金龍水及び不老水は共に鎌倉山ノ内の建長寺境内にあります。建長寺を訪ねるには、 JR北鎌倉駅を下車しバス道路を横須賀線に沿って鎌倉方面に1km程進みますと、 巨福呂坂(こぶくろざか)手前の左に建長寺の西外門があります。

金龍水

金龍水(きんりゅうすい)は鎌倉五名水の一つです。建長寺の西側の入口に西外門があります。 新編鎌倉志によりますと「西外門に額があり、額には天下禅林と書かれている。 西の外門の前に金龍水がある。鎌倉五名水の一なり」と述べております。
然し、今となっては名水の所在は判りません。建長寺の宝物風入(ほうもつかぜいれ)の際に、 建長寺境内の古い絵図がありました。一生懸命に井戸を探して見ますと、外門の付近に井戸のマークがあるのを発見しました。 新編鎌倉志に書いてありますように、外門の側に井戸がありましたので金龍水には間違いないようです。

新編鎌倉志に往時の建長寺境内図があります、拡大して見ますと金龍水及び不老水の文字がありました。 この図によりますと西外門の前にあります小川の脇に、井戸マークに金龍水と書かれています。

ある歴史学の先生にお伺いしましたところ、「昔は外門の側の郵便ポストの付近に金龍水があったが、 道路の拡張工事のために取り壊されて埋めてしまった」とのことです。

又、鎌倉市観光課の観光案内誌「かまくら四季のみどころ」には次のように述べております。 「金龍水は建長寺の北鎌倉駅寄りにある。天下門前、信号機の下の道路に一辺がおよそ1mの四角いコンクリート板が敷かれています。 是が井戸枠の名残です。昔は、巨福呂坂をこえてきた旅人たちにとって大切な役目を果たしていたのでしょうが、 昭和28年(1953)頃の巨福呂坂道路拡張工事の際に埋められて、石組みだけが残りました。」と有ります。

この様なことから、総合的に判断しますと西外門入口のコンクリート板付近が金龍水の場所と推定しましたが如何なものでしょうか。

不老水

不老水(ふろうすい)は鎌倉五名水の一つです。建長寺の境内にあります鎌倉学園の運動グランド場の裏に、 不老水 不老水があつたと言われていますが詳細な場所は不明です。

新編鎌倉志によりますと「不老水は仙人沢(勝上嶽より西の方にあり。幽間の地なり)の傍にあり。 鎌倉五名水の一なり。」と述べております。また鎌倉攬勝考(かまくららんしょうこう)によりますと「不老水は仙人沢の傍に有。 異人この水を呑みて、容貌のかはらさりけるより、仙人或いは仙人池などとも唱えへしという。 当所五名水の内なり。」と述べております。

観光案内誌「かまくら四季のみどころ」には次のように述べています。 「建長寺から半僧坊へ向かう途中の茶店の先に、川村瑞賢公墓所入口と書かれた石碑があります。 この手前の左の石段を上って行くと、川村瑞賢公の墓があります。 このお墓の入口右手に大きな石で蓋をしてある井戸が不老水です。現在は、中を見ることが出来ないために、 水が今も涌いているかは、確かめられません。」と有ります。

先の新編鎌倉志の建長寺境内図に不老水の文字があります、拡大して見ますと半僧坊(はんそうぼう)の左脇に小さな池のマークに不老水と書かれています。 今回は、この古い案内図を頼りに現地を歩いてみました。

建長寺の総門より境内に入り、神奈川県指定の重要文化財の三門を通ります。 同じく重要文化財の仏殿から唐門の脇を進みますと、右手に素晴らしい眺めの方丈庭園があり、 左手に河村瑞賢墓への入口の階段があります。更に進みますと、右手には亀ケ谷坂を上り切れずに戻った亀の住家の池がある回春院への分かれ道があります。 真っ直ぐに進み、正面の鳥居を潜りて半僧坊への石段を上ります。

半僧坊の社務所にて不老水の古図を見せて色々と話を伺うが位置は不明との事です。 取あえず勝上嶽(しょうじょうがたけ)の展望台まで登り一休みする。

再び半僧坊にもどり、先に社務所にて聞いた河村瑞賢墓への草生した道を進んで、 不老水の所在を尋ねてみたが池や井戸は見当たりませんでした。
この小道の下は鎌倉学園の運動場である事から、この付近に在ったであろうと考えて河村瑞賢の墓地にたどり着きますと、 墓地の南東の角地に井戸らしきものを見出しました、新編鎌倉志の案内図とはだいぶ位置が違うように見えますが、 観光案内誌「かまくらの四季のみどころ」にあります「河村瑞賢墓所入口の右手に大きな石で蓋をしてある井戸が不老水です」に指摘の場所であり、 鎌倉学園のグランド裏との説にも近いような事から写真を撮影しました。

(付記)不老水の所在についてはいずれも痕跡程度で確認できません。

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