年頭に想う

1月の絵  新しい年が始まる。
 一九九九年……。頭に一がつくのも、今年が最後である。二×××年など少年クラブの空想未来小説の中のことと思っていたが、あっと言うまに現実のものとなってしまい、何とも不思議な気がしてならない。
 なによりも先ず、健康でいられることに感謝したい。毎朝十五分から二十分の自己流体操を続けているが、屈伸運動での体の曲げ方で自己診断出来る。前日不摂生すると、覿面に腕も腰も十分曲がらなくなる。
 目的を持つことが大切だ。理想は高く持った方がよいと思う。どっちみち、一〇〇%達することなど、ないのだから……。特に仕事の面では、組織の中のひとり一人が自らの目標を持つことが望ましい。つまりそれぞれが、自己開発をしていくこと、その総和が事業の成果なのである。上から命じられたことをやるだけでは、厳しい社会はとても乗り切れない。過去の慣習とか、仕事のやり方とかを引き継ぐのではなくて、どうやったら変えられるかに努力すべきではないだろうか。
 人に会えば、不景気でどうしようもありませんよ、が挨拶代わりになってもう久しい。今年から、皆でもうそれは言わないことにしませんか。どうやっても十年前に戻りっこないのだ。別に政府の金融再生政策が実ると思って言っているのではない。まだまだ社会も経済も、そして国民生活も直ぐに好転するとは思えないが、所詮不景気をエキスキュースにしたって、何の足しにもならない。現実を正確に把握しながら、気持ちを前に向けて、自分のポジションを見失わないように生きたいと思う。

 私たちの子供の頃は、新年に一つ年をとることになっていた。今年からは何才になったのだから、これこれしなきゃあいけませんよ、とお年玉を貰うのと引換に、親のお説教があったものだ。新しい年を迎えるという改まった気持ちと、一つ大人になったという自覚を重ね合わすのも案外悪くないなと思ったりしている。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成11年1月号掲載
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