映画館

6月の絵  鎌倉のまちから映画館が姿を消して、もう何年になるだろう。一番最後まで残っていたのが、駅西口のテアトル鎌倉だったと思うが、それも十年前になくなり、未だに空き地となっている。1950年代、映画全盛の頃は、鎌倉にも五館あった。出来た時期がまちまちだし、次第に減っていったから、五館時代はそう長くはないと思う。戦前からあったのは、長谷通りの松竹映画劇場と八幡前通りと小町通りの間のいま五鍾洞ビルの所にあった名画座(これは戦後なくなる前の館名で、戦前は何といったか憶えがない)の二館である。小学生も低学年の頃の朧げな記憶では、どちらも初めは客席は畳敷きだった。松竹映劇で浪曲大会があって、母に連れていって貰った。ひとりでは行かれない程の年令なのに、浪花節が好きで好きで、虎造とか梅鴬とかをナマで聞けた興奮はいまでも鮮明だ。

 市民座は、戦後鎌倉のひとつの 象徴と言える。そこで上映されるアメリカ映画は、日本の社会の変化そのものを 実感する場であった。特に、故上森子鉄氏が主催した封切り前の新作の深夜の試 写会は、鎌倉に新しい文化の灯をともしたと言えよう。

 今年になって、鎌倉に映画館が出来たことを知っている人は少ないと思う。 鎌倉シネマワールドの屋上に"サテライトシアター"という定員八十名のかわいら しい劇場である。

 シネマ21システムのビデオによる上 映だが、立体音響設備もあり、映画の醍醐味を十分味わえる。六月は、邦画は「 瀬戸内ムーンライトセレナーデ」、洋画は「イングリッシュペイシェント」。東 京、横浜まで足を運ばなくてよいのも嬉しいし、それよりもこのまちに映画館が 復活したことをまずは喜びたい。

 文化都市、鎌倉のためにも・・・。(S.Y)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成9年6月号掲載
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