生きてる証(あかし)

 1993年(平成5年)1月から、「谷戸の風」の本誌への連載が始まり、今年、2007年、丸15年弱で終了することになった。番組ガイド誌の内容、方針が10月から変更になるためである。途中、2001年から、3年半程、鎌倉ケーブルテレビの現会長・松本淳氏と隔月に執筆した時期があり、今回のこの稿で156本書かせて頂いたことになる。先ずはそのことに感謝申し上げたい。
 1991年に、鎌倉ケーブルテレビは開局した。新しいメディアで、市民の中に仲々浸透せず、思うように加入者が獲得出来ないで、非常に苦しい会社運営だった。93年になって、やっと鎌倉市全域へのケーブル敷設に取りかかっているような状態だった。ケーブルテレビというものの魅力を知って頂かなければ、加入者は増えない。番組ガイド誌は、そのための有力な宣伝ツールだった。タイムテーブルだけの誌面では味気ない、多少でも読みもの的なやわらかい誌面をつくりたい、そういう、編集担当の人たちの意見から「谷戸の風」は生れた。原稿を外注するだけの経費もかけられなかった。社長、あなた自身で書きなさい、忘れもしない、編集のNさんという女性におだてられ、脅かされて書き出して、何時の間にか15年が過ぎてしまった、という次第だ。
 鎌倉市自体がそうだが、ケーブルテレビのお客様も、比較的御高齢の方が多かった。始めの頃は、ケーブルテレビとの関連を多少なりとも意識しているつもりが、段々気儘(きまま)になって、自分なりに胸のうちにあることを率直に書くようになった。それが同世代の方々に共感を寄せて頂けるようになったのかもしれない。私自身、年月と共に、この「谷戸の風」が生きている証のように思えてきた。と言うのは、だんだん世間が狭くなったせいか、題材に苦しむことが多くなった。脳味噌の働きも弱くなる。それを何とかしぼり出して二千字をうめる。その大袈裟に言えば生みの苦しみを、今月も何とか通りこしたかと、ホッと息をつく間もなく、さて来月はと頭の中に浮んでくる。こうしてこの15年間、「谷戸の風」が私を叱咤激励してくれたのだと思う。
 前半8年間の96本は、2001年に単行本にさせて頂いた。残りの60本は、他の原稿も加えて、今秋11月頃刊行される。私の人生のささやかな宝になると思っている。再度お礼を申し上げます。
 昨秋行われた鎌倉芸術祭は、鎌倉ケーブルテレビのスタッフたちの努力で、第一回としてそれなりの成果をあげた。今年は第二回を実施すべく、私の関わっている鎌倉市芸術文化振興財団が昨年の実績をふまえて、鎌倉ケーブルテレビの方々と協力してやっていくことになっている。
 芸術祭とは何ぞや、と肩肘張って考えれば、意見は百出しようが、私は唯この鎌倉という町に、現代の芸術文化の香りを漂わせたい、そういうイベントを市民の方々に提供したいという思いだけなのだ。若い頃、映画会社で映画の製作の仕事をしていた私は、当時の文部省の主催する芸術祭に、各社競って自信作をもって参加し、賞をめざしたことを思い浮かべる。規模も形式も異るけれど、参加する方々にはそういう気持、心構えを持って頂きたいこと、芸術と呼ぶあらゆる分野でのいいものを鑑賞する場を創出すること、それが芸術祭を運営する側の実行委員会の役目だと思っている。残念ながら、組織力でも、経済力でも、マンパワーでも、まだ幼児並みである。芸術祭そのものの存在が地についていけば、必ずや人々の関心も高まるものと信じている。苦しくても、高い志をもって歳月を重ねていくことが大切だ。鎌倉はそれに相応(ふさわ)しい町なのだ。自然も過去の歴史も、何不足ない財産を持っている鎌倉に、もう一つ現代の文化の息吹きが加わってほしいと思う。今日という日は明日になればもう過去だから、いまに生きる私たちはそれを創り出す責任がある。近代から現代への百年の鎌倉には、失ってしまってはならない多くの文化や文化人の存在があった。この、もう一つの鎌倉、を21世紀のこれからへ継ぐことが大切だと思えてならないのである。
 私は、心ひそかに、この芸術祭を新しい私の生きる証にしたいと願っている。


(完)
山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成19年9月号掲載
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