六月の雨

 六月は、私の誕生月である。
 大正十四年の生まれだが、大正生まれはすべて八十歳を越してしまっている。因みに、明治生まれの人は九十五歳以上ということになる。明治は遠くになりにけり、とよく言ったものだが、大正生まれも他人事(ひとごと)ではない。
 いくら高齢化社会と言っても、八十歳というのは間違いなく老人である。近頃は昼間家にいることが多いが、よく保険会社から勧誘の電話がかかる。まだ加入させて頂けますか、とこちらからからかって言うと、困ったように、お声がお若いから、とかなんともお世辞を言ってごまかしている。片っぱしから電話帳でかけるのかもしれないが、今の時代そんなデータは簡単に検索できるであろうに、無駄なことをするものだ。
 (偶然と言うか、ここまで書いた所へ電話のベルが鳴り、×××ファミリーですが、八十歳までお入りになれます何とか保険が、と押し付けがましくしゃべるので、もう間に合わないトシなの、と電話を切ったばかり…)
 私のきょうだい、五人のうち、三人が六月生まれ、それと母親、姉の良人も六月生れで、もっともいまはもう七歳上の兄と私の二人だけになってしまっているが、よく合同で誕生日祝いをやったものだった。母は、この集りが何より楽しみだったようだ。五人の子供たちの成育が、人生の殆どだったような人だったから、なおさらだったのであろう。こういう習慣は、自然に次の世代にも伝わっていくもので、兄のところの長男が音頭をとって、今でも会食は続けている。孫たちも出席しているから、さらに続くに違いない。
 いつも思うのだが、六月という月は一年の間で一番行事とか催しがない月である。気侯的にも、暑くもなく寒くもなく、たまに梅雨空のうすら寒い日もあるが、何となく中途半端な季節で、どちらかと言えば、気持ちの晴れにくい日が多い。近頃のように、こう天候、気温が不順だと、空梅雨(からつゆ)なんてこともあるかもしれないが、雨が多いのは気も滅入るし、表へ出るのも億劫(おっくう)になっていけない。第一、六月という月には、祝日がない。一年のうちで祝日がない月は、六月と八月だが、八月は夏休みやら盆休みとかがあるからまだいいが、六月は味もそっけもない。国もいろいろ屁理屈つけて祝日をふやしたり、連休にしたりとか、経済効果をあげようとしているようだが、六月だけはいい知恵が浮かばないらしい。みどりの日は五月だし、海の日は七月にとられ、まさか虫歯デーや時の記念日では祝日にはなるまい。時は金なり、休んでいては罰が当たりそうだ。ちょっと頭に浮かんだ迷案だが、田植のシーズンでもあるし、日本人すべてと切っても切れない、お米の日、というのはどうだろう。米に感謝しようというのなら、反対する国民はないように思うが。
 それにしても、あまりにも恵まれない月、極めて地味な一ヶ月と言わざるを得ない。何かいい話はないものかと、いまベストセラーになっている「日本人のしきたり」(飯倉晴武著・青春出版社)をめくってみた。日本の長い歴史のなかで培われた年中行事やしきたりで六月のものはないかと探してみた。
 年中行事のしきたり、の章に、二十の項目があるが、その中に六月のものはたった一つ、衣替え(ころもがえ)、があるだけだ。
 「衣替え」は更衣(こうい)ともいい、平安時代の宮中で四月と十月の朔日(一日のこと)に行われ、やがて民間にも広まった。江戸時代は、年四回の衣替えを取り決めたようだが、明治時代になって洋服を着るようになってから、政府は六月一日を夏の衣替え、十月一日を冬の衣替えの目安とした、とある。確かに、女子学生のセーラー服の上衣やブラウスが白く変る時は、あゝ六月になったのか、と間違いなく六月を意識する。三月ひな祭り、五月端午の節句、九月お月見、などと比べると、華やかな印象に欠けるのは否めないが、われら六月党にしてみれば、わずかにホッとする。
 あれこれ思いを巡らせてみると、つまるところ、雨、梅雨というのが、六月の印象を暗い、冴えないものにしている元凶ではないだろうか。朝起きて窓をあけると、音を立てる程でもない細い雨に遠くが霞み、庭先の小さな樹々からポタポタと滴(しずく)が落ちていたりすると、何となく気が滅入るのはたしかだ。しかし、やがて月が変って梅雨明けの雷鳴がなり、空の色も雲の形も一挙に変って、心はずむ夏がくるには、この六月の序曲がなければならないと思うと、目立たぬ六月も大切な季節に思えてくる。地球の水不足の傾向にまで、調子に乗って話を進めずとも、わが鎌倉は、雨に咲く紫、白、ピンクの紫陽花を賞(め)でようと押しよせる多くの観光客によって、まちに潤(うるお)いをもたらしてもらっていることは、六月の雨の効用に間違いない。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成19年6月号掲載
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