どうするプロ野球

 プロ野球程自稱(じしょう)"通"の多い世界はないので、ほんとの通(これも自稱だが)の私としては論評は差し控えたいところだが、いつものおせっかいが頭をもたげて、ついつい筆を執った。今年のプロ野球は、どうもパッとしない。出足の四月をサッカーのW杯人気にさらわれるというアンラッキーはあったが、それ以降も何となく燃えないように思えてならない。聞くところによると、各テレビ局も野球中継では視聴率がとれないので、放映権はあっても辞退する局もあるとか。原因は何か。これも毎度で恐縮だが、どうも巨人サマが敗けが込んできたかららしい。それにしても相変らず球界の盟主一チームの不振が、十二球団全体の沈滞を齋(もたら)すとは、いささか情けない。巨人が強いと景気も上昇すると言われているから、折角デフレ脱却かという時にこれでは、巨人ファンの多い政財界人も気が気であるまい。いま巨人の話をすると、弱いものイジメのようで気が引けるが、今年は私も去年同様Bクラス(八月初め現在)に低迷するとは夢にも思わなかった。監督の更迭、金にあかした補強、事実四月のスタート時は、やはり今年は、と思わせる好調ぶりだったのが、六月のセパ交流試合あたりから一天にわかにかき曇りで、負けるに事欠いて七連敗、八連敗、アッという間に定位置(と言ったら叱られるが)五位という現状。私は若い頃から好きで野球を見てきたが、こんな急変は見たことない。いかに怪我人が出たからって、その位のことはどこのチームだってあることで、備えあれば何とやら、その中から思わぬ若い芽が出てくるもの、それを、つい又言ってしまうが、五番バッターの三塁手を欠くのは痛いに違いないが、大金出して外人選手をつれてくる、ちよっと人事行政に通じた人なら、こういう入事こそ下手くそで、休んでる人も連れてこられた選手も、あまりイイ気持である筈がない。あまり個々の問題を言うのはやめにするが、巨人というチームの一番の問題は、優勝を義務づけられているという意識、一番偉いぢいさんから監督に至るまで、体中にその意識がこびりついていることだ。勝負事といったら失礼かも知らないが、勝つに決まっているという意識で試合にのぞむのは最低だ。負ける筈がないのにおかしいな、と思うようでは進歩がない。ましてこの数年優勝から程遠いのに、である。まだ40%位のゲームが残っているのだから、何でも起こり得る。巨人さん、選手も監督コーチも、どうか暗い表情を見せないで下さい。給料の高い分、責任も重いのですよ。
 プロ野球界に注文したい。全球団ホームグラウンドをドーム球場にすること。スケジュールの狂いは、各チームの戦術にも影響あろうし、後半押しつまってからの日程調整は、ゲームをいい状態でファンにお見せするという肝心のことが無視されてしまう。甲子園という球場は、長い歴史と伝統という付加価値があるので別格だが、ドームがふえれば、地方の各地ももっと盛りあがる。次はやはり選手の年俸に制限をつけて公開すること。選手の白覚、資任感、差恥心をよびさますことが大事だと思う。いいプレーに対して、全試合でMVP賞のようなものを出すのはどうか。必ず励みになる。映画や演劇での俳優と同じように、選手はいいプレイを見せようと努力をすることが使命なのだ。成果主義は、いまや一般社会に広く採用されている当然の方向だ。プロ野球で、レギュラーのポジションをとることは、選手にとって最大の難関だ。一シーズン通して一つのポジションを守りつづけることは容易ではない。エキスパートと言うか、存在感のある選手が多ければ、観衆は必ず拍手を送る。グラウンドとスタンドの一体感、鉦や太鼓ばかりが応援ではあるまい。心ある観客というのは必ずいる。そしてその心ある観客が選手を育て、プロ野球を育てあげて行くのではないだろうか。それからセパ交流試合、私は大賛成だ。今年の巨人のように、交流戦になったら全く勝てなくなるというのは何故だろう。子供じゃあるまいし人見知りして元気が出ない訳でもないだろうに。
 プロ野球は、エンターテーメントであると同時に、技(わざ)というか、芸である。勝敗はその結果にすぎない。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成18年 9月号掲載
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