私の幸福論

 衣・食・住という。この順序に意味があるのだろうか。人生にとっての大切さの順位とも思えない。寧ろそれならば逆かもしれない。つまりは単に語呂(ごろ)の問題だと思う。例しにどう順番を変えて言ってみても、落ち着きが悪い。言い馴れてしまったということであろうか。
 衣食足(た)って礼節を知る、という。国の借金は莫大だが、景気は回復傾向とかで、一般国民の平均的な暮し向きは、衣食足りているようではあるが、礼節の方は甚だ心もとない。それどころか、衣食足りれば足りる程、人は礼節を失っていくのはどういうことかと首を傾げたくなる。
 然し、よく考えてみると、衣食住というのは、人間生きて行く上での三つの欠くことの出来ない要素であるが、一方人間の欲望の三つの要素でもあるのではないだろうか。足りても足りても、上を見ればキリがない、そういう要素にも思えてくる。貧すれば鈍する、の方がまだ同情、共感する余地があろうが、豊かになって猶欲望を洟(たぎ)らせるようになるのは、人間の業(ごう)なのかも知れないが、少々情けない思いもするのである。
 衣は、若い頃は随分思い悩んだりしたものだ。おシャレをしたいというのは、ある意味で若者の特権で、そのために汗水たらして働くという良い側面もあった。戦後のもののない時代は、サラリーマンのなりたてで、ワイシャツ一枚つくるのも決心を要した覚えがある。それだけに、ものを大切に使うことはいやでも身についた。この年令になっても、下着一枚、靴下一足でも、新しいものをおろすのに、ついもったいないという思いが先立つ。まだ手をつけていないものが、抽(ひ)き出しの中にあることに安心感があるのは、もののない時代の名残(なご)りであろう。近頃安くなったせいもあるが、スーツの一着ぐらい気楽に買えるようになった頃には、着て出掛けるチャンスも少なくなるという、世の中皮肉なものである。
 食の方は、日々人生の中で、大切さを増していくように思う。食べる楽しみは、年令(とし)と共に大きくなってくる。若い頃は、腹がはれば何でもよかったが、年令をとると、前にも一度この欄で書いたかと思うが、今日のこの食事はもう二度とない、という名言の如く、食べるということをいい加減にしたくないと思うようになる。大袈裟に言えぱ、食は生きるなり、で毎日の食事がつつがなく終ることが、人生を刻むことのように感ずる。健康を保つ上、ということも、無意識の意識の中にあるかも知れないが、おいしいものを食べたいという思い、食べた後の充足した気分、これこそ人生の賛沢そのものだと思う。食文化と言うが、確にそうであろう。多少高くとも素材のよいものを買う、多少遠くともおいしいと言われる店へ行って食べる、それは生産者にも店舗にもはね返って、質が高まっていくことになる、そこが文化と呼ぶ所以(ゆえん)であろう。
 住、については、人の一生で、或いは結婚に次ぐ重大事かもしれない。時代によって難易はあるが、白分の安住の地、家を得ることが出来れば、まず幸せと思うべきであろう。私自身、結婚直後より逗子の知人の敷地内の二間と台所だけの小さな家、風呂もなければ、水道もないところでの三年間の生活、そして出産の為に戻った妻の実家での同居生活と、わが家という実感をもてるまでの何年間かは、私自身多忙な、若さにまみれた日常だったとは言え、今思えば、周囲に助けられて生きていた時代であった。唯、私が幸せだったと思うのは、逗子の三年間を除けば、生れた土地鎌倉に住み続けていられたことだろう。その上、私たち夫婦が、終(つ)いの棲家(すみか)にとするには事足りる家も持つことが出来、不足を言ったらバチが当る。たとえ、大地震がこようが、爆弾がとんでこようが、いのちがある限りこの土地を離れることはないに違いない。つまり私にとっての住の問題は、家屋より土地だ。鎌倉という土地が好きなのである。その好きな相手が、近頃段々変ってきつつある。森羅万象、変らぬものはない、と言えばそれまでだが、変りようが気に入らない。言いたいことは山程あるが、年のはじめである、憎まれ口は何れ又改めて、としよう。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成18年 1月号掲載
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