いのち

 何やかやと、よくない出来ごとの多い年だったと思う。白然災害も、人為的災害も、世界の各地で起り、人間の無力さをその度びに思い知らされた。地震、台風、ハリケーン、そしてテロと、罪なき人々の命をあっけなく奪っていく現象に、手を拱いているとは言わないが、人間社会が何となく後手(ごて)にまわっているように見える。場合によっては、土地の開発といった問題が、結果的に被害を大きくして、自然の暴威を手助けしてしまうようなこともある。日本は、地震王国などという有難くない尊稱があるようだが、われわれが住んでいるこのあたりの地域も、有力な危険地域のようだから、決して他人事(ひとごと)ではないのだが、吾ながら意識が低いと言わざるを得ない。
 人為的災害は、テロのような政治目的のあるものは、よいとは言わぬが、解決方法は理論的にある筈と思うが、訳もなくすれ違いざまに人を刺すような、何の根拠もない災害は、対策のたてようもないではないか。安心して道も歩けない社会では、野生の猛獣の棲むジャングルと何等変りはない。アスファルトジャングルということばが、一時流行語のようになったことがあったが、意味は全く違う。
 死という点では、災害も病死も変わりないという言い方もあるのかもしれないが、数から言えば、当たり前のことだが病気による死の方が圧倒的に多いのだ。死があり、生がある。そのバランスがなければ、人間社会は成立しない。毎年世界の人口が発表される。六四億強、わずかの増加だったと思う。人間のいのちは、確実にのびている。その反対に、途上国の飢餓による死も解決の道すじは仲々つきそうもない。こういう問題に無関心であっていい訳はないが、これも又個々人の意識が高いとは言えない。然し、たったひとつの命でも、心に深く刻まれ、消え去らない命もある。
 戦後間もなく、まだ学籍があった頃から知り合っていたから、六十年近い友人である。私は妻の出産に備えて、逗子から妻の実家へ戻り、その敷地内に住むようになって、偶然その友入(Tさんと呼ばせて貰う)と一軒おいての隣組となった。私は映画会社、Tさんはテレビ局と同じメディアの仕事で、親近感を増した。1950年代で、映画もテレビもいい時代だった。銀座のバアで呑んではお互い電車がなくなり、ハイヤー会社の処でバッタリ会って、同じ車に乗って夜中二時、三時に帰ったりもした。両人共酒好きで、強くもあり、特にTさんは仲々のグルメで話が合った。平成に入って間もなく、私は映画会社を引いて、地元鎌倉のケーブルテレビの会社に入り、そのテレビ局より社外役員を派遣して貰うことになり、何人目かでTさんに来て頂いた。その少し前頃から、Tさんは悪い病根にとりつかれて、何回か手術をされた。然しTさんは誠に平然としておられ、病院から戻ってくると以前と全く変らぬようによく呑み、うまいものを食べ歩いた。病気と闘うというような気負った感じではなく、病気など相手にしないという日常を送っておられ、私はその本当の意味での強さに、内心敬服していた。どこそこに新しい店ができて、ちょっとうまいもの食わせますから、今度行きましょう、とよく誘って下さった。夕方、びとりで、買物籠を持ってスーパーの店内を歩いておられ、声をかけると一寸テレ臭さような笑みを浮かべた。今年、Tさんと私は、ケーブルテレビの役員を退任した。5月31日の株主総会が最後の日だった。五月初旬の連休の頃だったと思う、Tさんから又悪い奴が暴れ出したので、病院へ行って調べてもらい、悪ければ又切腹かも、と聞かされた。15日の日曜の夕方、玄関のピンポーンが鳴って、Tさんの夫入と弟さんが立っていた。今日昼、亡くなりました、ある程度の予測はあったものの、やはり絶句した。寂しい思いが、すーと体の中を通り抜けた。同時に、又しても、強い人だったのになあ、という思いがきた。治ることはないと、ご本人が一番よく解っていたのだろうに、さらっと定期健診でも受けるような無雑作さで、(勿論ご本人や夫人はそうでなかったかもしれないが)入院したまま、鎌倉へは戻られなかった。株式総会で退任することにはならなかった。
 5ヶ月が過ぎた。家に帰るとき、私はTさんの門前をいやでも通る。玄関のガラス戸の奥のうすくら闇に、どうしても眼がいく。Tさんの面影が、ふと浮ぶ。もう小町通りのあたりで呑むこともないんだ、麻雀の卓を囲むこともないんだ、そう、もう逢えないのだ、唯、そういう思いがするだけ。違う世界にいるだけのこと・・・。何故だか、そんなすっきりした想いが私を包んでいる。
 行ったことがないからそっちの世界は解らないけど、あなたも知ってるこっちの世界は、相変わらず天災、人災で大変ですよ、・・・・聞こえても、多分あなたは知らんふりするに違いない。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成17年12月号掲載
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