季節を感じたい

  振り返ってみると、今年程自然災害やら異常気象の影響を蒙った年もなかったのではなかろうか。大体が春先から、季節が前へ前へ来るような感じで、爽やかな春のぽかぽか陽気もなければ、梅雨らしい梅雨もなく、六月末にはもう真夏のような気温になった。六月というのに颱風が南方洋上に次々に発生、西日本には随分やって来た。夏の猛暑も、観測史上最高の三九・五度に達するなど、季節感などどこかへ飛んで行ってしまったような異常ぶりだった。特に前述の颱風に就いては、いかなる気圧配置の関係かわからないが、始めは中国大陸の方へ向っているようで、途中から必ずといってよい程向きを北東に変え、日本列島へ向ってくる。昔は、という言い方もおかしいが、颱風は九月のもので、二百十日とか二百二十日とか言って注意してきたのが、今年は六月からずっとつながって、遂に十月まで、まさに颱風の当り年になってしまった。日本列島に上陸した颱風が十個というのも新記録らしいし、十月八日九日の22号、十九日二十日の23号と十月の後半まで颱風がきたのもめったにないことだった。そしてこの二回が、正に列島縦断となり関東を直撃、大きな被害を出した。そして、止めを刺す如く、十月二十三日には震度六強という地震が新潟中越地方を襲ったのだ。誰を恨むべくもない天災とは言っても、被災者の方々は自然の怖ろしさを恨みたくもなろう。専門の先生方が研究されてるにせよ、素人のわれわれが、地球温暖化のせいだとか、二酸化炭素がどうとやらとか、岡目八目で色々言ったところで、この天敵だけはどうやっても撃退出来ないのかと思うと、何とも腹が立って仕方がない。被災者の方々のことを思うと言葉もない。十年位前までは、春夏秋冬、その季節の変り目は多少の狂いはあっても、夫々の季節感を満喫出来たと思うのだか、近頃は急に暑くなったり、寒くなったり、誠に味気なくなったように思えてならない。
 先頃より、鎌倉文学館で「星野立子展」が開かれている(十二月五日まで)。申すまでもなく高浜虚子の娘で、初の女性俳句雑誌を創刊した天才的女性俳人で、そのすべてを展示している。私など恥かしい程の門外漢であるが、仕事上小学生位の勉強はした。ご承知の通り、俳句には季語というものがある。四季、更には月別に季語があって、その季語を句の中に必ず入れねばならぬ。俳句の初歩は、季語を覚えることと言っても過言ではない。花鳥風月、行事祭事、広い分野に分類された季語を見ていると、日本の四季が鮮かに浮びあがってくる。目に映じたもの、心に感じたこと、それに季語を入れて五七五のことばにする。そこには無限の自由があって、しかもゆるがせに出来ない掟がある。茶道などにも同様のことがあるのだろう。現実の時間の流れを離れて、自分の境地に浸ることの幸せを得ることは至難である。
 自然というものは、人間にいろいろなことを考えさせる怖ろしい存在である。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成16年12月号掲載
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