気になる世の中

  又いつものあいつの悪い癖、と笑われるかも知れないが、どうも今の世の中、気になって仕方がない。この「谷戸の風」を書き出して十二年になるが、その間四、五回は同じような気持ちになったことがあった。思いもかけないことが起る、それは広い地球の上のことだから仕方がない。それにしても、人間のいのちがこんなに軽んじられてよいものなのか、気が重くなるばかりだ。と言うのも私自身の日常の生活が変わって、家にいることが多くなったので、新聞やテレビでばかり、社会とつながっているから、余計そうなるのかもしれない。会社生活というようなフィルターがないせいで、直接的に感じるのだろう。
 それにしても、よくもこう次から次と、想像を絶するような事件が起るものだ。いまや尊属殺人ぐらいでは驚いていられないのかもしれないが、同居人が三才と四才の幼児を生きたまま川へ投げ捨てる、というに至っては、無惨というか残虐というか、地獄の鬼も顔負けだろう。確かに凶悪な事件というのは昔からもあった。然し、事件の質の異常さは間違いなくエスカレートしていると思う。そして、そうした異常さに、人間社会自体が麻痺してしまう怖れがないとは言えない。日本人だけではないのかも知れないが、近頃街中で見かける若い世代の人たちに、眼つきとか顔つきが、この人異常としか思えない人がかなりいて、眼が合うと気味が悪いと感じることが時々ある。多分クスリのせいだと思うが。
 日本人は一体どうなるのだろう、大きなお世話と言われそうだが、歳をとって社会との関わりが薄くなればなる程、そういう思いに囚われる。
 又一方、戦争、と言ってしまえばそれまでの話だが、イラクでは、イラク人とアメリカ兵が毎日のように交互に殺し合っている。大量破壊兵器を隠しもつナラズ者国家を許さぬというアメリカの大儀も、今日では明白に失われてというのに、である。こういう社会では、いのちの大切さが守られにくいのは当然かもしれない。だからこそこういう時代は、人は与えられた生命の限りを、自らの力と周囲の力とを重ね合せて、生きて行かなければならないのだ。生きる権利、という言葉もあるが、私は敢て、生きる責任があると思いたい。平たく言えば、人間は生まれた時から両親に育くまれ、教育を受け、健康に留意して、何らかの形で社会に貢献しつつ、子孫にいのちを継げようと、誰もが普通に思っている筈だ。なのに、何の理由もなくいのちを失わせられるのは、あまりにも理不尽だと思えて仕方がない。
 それにしても・・・、あの9・11のテロという事実が、世界中に与えたものの大きさを、改めて思い知るのである。確かに、あれから世の中がおかしくなったように思えてならない。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成16年11月号掲載
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