華麗なる加齢現象

2004年02月  とにかく私は単純すぎて失敗が多い。
 昨年の暮に人から、私がダイエットしようとしているのを知って“スクワット体操”を勧められて、大変効果があると言われて、すぐさま実行した。
 頭の後ろに両手を組んで膝を屈伸する、あれである。1日30回を、結構力を入れてやってみた。なるほど効き目がありそうである。ちょうど3日目を過ぎた時、突然、右足がパンクした。猛烈に痛い。寝ていても痛くて、体を数回、反転でもさせない限り、寝られたものじゃない。
 病院に行ったら、筋肉痛ではなくて、どこか神経を痛めたらしい。薬を飲んだら、みるみる良くなった。やっぱり単純だ。
 以前にも、シャドーボクシングをやって、右肩を痛めた。家の近所の長い階段をかけ上ったり、降りたりして、これまた足を痛めた。3回目である。懲りないんですね。それに年を取ったら、治りが遅くなるというのも苦痛になってきている。以前に加齢と戦う決意をしたが、どうも精神的なものに終始していて、体がついていかない。傍からみれば、はしゃぎ過ぎの単なる阿呆でしかない。
 夜、お風呂に入る時、本を持ち込んで、乾いたタオルと、天眼鏡を用意して、じっくりと読みながら入る。これが私の好むスタイルで、似たようなことをトイレでもやっていた。
 ところが最近では、すぐ飽きてきて、違う本を読みたくなって、集中力をなくす。私の読みかけの本は、常に5、6冊あって、並行して、気分で取り上げて読むから、どうも身につかない。その大きな原因は、生来の短気さと、目が衰えてきているからだと自認している。静かに腰を落ち着けて読書に耽ったりしている人が羨ましい。自分に対していつもいらいらしている。何でだろう?以前、川上哲治監督がオフシーズンに禅寺にこもって精神修養をしている記事を読んで、若かりし私は、「どうして野球道の中にそれを自身で見つけられないのだろう。」と疑問に思ったものだ。自分の手で掴めず、まして川上さんともあろう方がと思ったものだ。でも、この年齢になって何となく分かる。分化され、特化された道はやはり別にあるのだと。その研ぎすまされた世界が一番分かりやすく、入りやすい世界として用意されていることを・・・
 私のように、まだ、そういう気分になれなくて一つの道は全てに通ずるという考え方で進んできて、ある程度年齢を経て、それが未だ醸成されていない未熟な己を見比べるとやはりいらいらする。何とかしようと考えている。
 やはり単純すぎる。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成16年2月号掲載
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