ビバ!デジタル社会

2003年9月27日  もし、地球の地殻が冷えて固まるという予測があったとしたら、それはどうやら地球の意図するところではないようだ。地球の意志は、生命体にとって快適な環境を創り出していくことにあり、そう見えないのは様々な過程が循環して行われている為であり、それぞれを切り取って考えると、その全体意図と違うお話になってしまう・・・といったようなことを何かで読んだことがある。
−いま世の中は情報化社会が進んでいて、かつての人々が一生涯で得た情報と現代人のそれとは比較にならぬ量となる。一部の人だけが握っていた情報を川上から川下におろしていく形の情報は皆無といってよい。会社でも家庭でも結論が分散化するのは、この情報量の為せる業ではないかとさえ疑っている。そこにマネージメントのむつかしさもある、−さらに用意されている社会は、もっと大量の情報を送り込もうと企んでいる。−そのひとつが「デジタル化、デジタル放送」である。「放送のデジタル化」は伝送方式をデジタル化して送る方式を言い、従来のアナログ方式と違って人間が創り出した記号による信号で従来の何倍かの情報を送ろうとするものである。ケーブル事業者も、このデジタル信号で送られてくる映像と音声を忠実にとらえて加入者宅で再現するのに躍起となっている。そこには高画質(ハイビジョン)と高音質と多チャンネルのテレビ放送が待っていて、PCとの融合を目論んでいる。
 それはとりも直さず、さらに膨大な量の情報が提供されることを意味する。この社会を「便利」と見るか「過剰」とみるか「豊か」と見るかは個人の問題と言えよう。
 誰かの「Y理論」ではないが、人間は従来、勤勉であり、旺盛な好奇心をもち、閉ざされた社会に止まっているほど、謙虚でもない。
 この豊かな社会の到来を、一方では不安に感じ、一方では人間の行き着く先を様々に夢想している。降りそそぐ情報の大シャワーを浴びながら「もう後戻りは出来ない」と受容する。
 情報を楽しむ、豊かな選択権に遊ぶ、操作性にだまされない、自らの価値観を信じて必要なものだけを取り出していく・・・。
 このデジタル化社会を切り取って、論じることはむつかしい。地球に住む人間の便法に過ぎない、表象的なものかも知れないからだ。そこで何がコミュニケケイトされているかの方が大切であり、「人間性善説」から来る楽観主義はまだまだ捨て難いからだ。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年10月号掲載
▲TOP

Copyright (c) Kamakura Citizens Net / Kamakura Green Net 2001 All rights reserved.