スーパー雑草魂

2003年7月11日  いつの頃からか、私の会社では、梅雨時から夏にかけてのある日、社員達で草刈りをすることになっている。業者に頼めば結構なお金がかかることから、自分たちの手で刈ることになったようだ。
 主に駐車場の周りを草刈するのだが、斜面があって手間が喰う。だが、皆んな手慣れたもので、機械で刈る人、鎌で刈る人、掃除にまわる人と誰が決めた訳ではないが見事に分業が成立していて気持ちよい。私は自分で植えた木が10数本あるので、それが気になってそちらの方を重点的にやることにしている。「時々、休むようにして下さい」と老人扱いされているが、私の育った田舎では、この程度の草刈りは文字通り文字通り朝飯前にやってしまう仕事だ。田舎では「非農家」と区別されて、大した草刈りの経験もなかったが、周囲は農家の人たちばかりだったからよく見て育った。大きな竹かごを背中に背負った人が溢れんばかりの草を詰めて帰ってくる。
 この頃には、「田の草刈り」「誘蛾灯」などが私の風物詩には浮んでいて、植えて育ってきた稲の間の草を取る。虫が多かったので油で火を点ける誘蛾灯に点火するために夕刻には一角に人が集まって田んぼの方へ出かけていく、農家の人にとってこの時期は大変忙しい時だった。強い除草剤などが現れて、その風物詩も次第になくなっていくのを私は見てきた。刈ってきた草は大抵、玄関の隣にある牛小屋に(家の中の一番いい所に牛小屋があったものだ)投げこまれて飼料となったのだろう。
 無心になって草刈りをしていると楽しい。本当は"草抜き"が、生えてこなくていいのだろうが、土の中には雑草の根が張っていて、全体の土を換えないと駄目だから"刈る"だけで済ませている。丁寧な仕事ぶりはすぐに分かって、優れた散髪屋でヒゲを剃ってもらうのと同じように次に生えてくるのが遅い。一時期、流行った「雑草魂」とか「草魂」とかに表されるように雑草の生命力はすさまじい。それに比して人間が都合よく植えた物は弱しい。
 顔を上げて、一生懸命に働いて雑草を克服している社員の人を見ると、少しは雑草ぽくなったような気がして嬉しかった。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年8月号掲載
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