友よ、良き友よ

2003年5月24日  「私はきらいな人に会ったことがない。」と言ったのは、某有名映画評論家だが、そこまで言い切れなくても、私も比較的、自分の好きなタイプの人々に囲まれて仕事をしてきたということを最近、思い知らされた。
 去る四月、私は残念ながら還暦を迎え、友人がその祝いをしてくれることになり、余り多くの人でなければと、人選も何もかも任せてお願いした。
 当日、来ていただいた40人近い顔ぶれを見て、私は心から満足していた。
 36年間と一ヶ月の、ひとつの会社でのサラリーマン生活は、意に反して結構多部門を渡り歩いていた。ところが当日のメンバーは、私が最初に配属になった「宣伝畑」と後年の「テーマパーク部門」の二つに片寄っていた。真ン中が抜けていた。関わった時間の長さのこともあり、ある意味では当然のことだったかも知れない。
 私の側から振り返れば、この二つの部署が格別、楽しかった。そこでの時間は勿体ないほど濃密で、確実にモノを造り出していた気がする。こんなステキな「サラリーマン生活」はまずないだろうと当時も思っていた。若かろうが、年輩になっていようが、その時、私は年齢を忘れていた。周囲の人々と同化して仕事をしていた。
 自分自身は大した才能はなかったが、他人を刺激して使うことは割と上手だったのではないか。周囲が優れていた。だから私が在った。
 パーティーの席上では、私の方で出席していただいた一人一人を私流に人物評を混えながら紹介させて頂いたが、即席だったので、もう少しよく考えて、気の効いたことを言えば良かったとちょっと後悔している。失礼もあったかもしれないが、それも含めて「私」なのだ。
 思えば、真面目な学生生活から社会へ入って、大事なものを剥ぐように落としながら、社会への適応力だけはまとい続けて今日の厚顔な六十才に成り上がったがその是非はもう問えない。いつもこの人たちが側に居てくれたし、今も居ることは誇らしい。

 帰りに一人の方が「きみが幸せな人間だということがよく分かったよ」と言って握手をしてくれた。嬉しかった。この人達といま一度、一緒に仕事をすることがあれば不可能なことは何もないと口惜しく思った。
 還暦のお祝いに「赤いパンツ」を頂いたが、当分、年齢に逆って生きていくことにしているので、このパンツは眺めるだけにする。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年6月号掲載
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