戦争のない地球がいい

2003年5月3日  戦争が始まっている。もっとも、この稿が出る頃には終わっているかも知れない。湾岸戦争からアフガン紛争、そして今回のイラク戦争、中東ではこの十二年間に三回も戦争が起っている。
 身内に民放局の外信部勤めの男がいて、三回とも現地に取材に行っている。前の二回は、パリの支局長をしていた時だったと思うが、今回は一ヶ月近く前に日本から出かけていった。冗談に、カレが行ったから、そろそろ戦争が始まるよ、と言っていたら、その通りになった。家族は心配だろうが、テレビの画面でニュースを送ってくる姿を見ていると、緊張感があるのだろうが、仲々頼母しい。
 それにしても、NHKはもとより、民放各局も戦争報道一色である。どの局も、同じような映像だから、チャンネルを替えても、変り映えがしない。申し合せて代表取材にしてもいいような気もする。何しろ、二十分前にどこそこの方面で爆発が起りました、というようなニュースを聞いていると、何千キロも離れたところの出来ごとが、身近なことのように思えてしまう。それにしても、こんなにこと細かに知る必要があるのだろうかと疑問にもなる。勝敗の帰趨が見えているスポーツの試合経過を楽しむような不謹慎な感覚がなくもない。その一方、戦っている国同士の、特に戦場となっている国の国民たちの、不安に満ちた心情が気になるのは、半世紀以上前の日本の敗戦を経験している世代だからであろうか。
 一九四五年(昭和二十年)の、八月十五日の敗戦までの日々は、日本の国土もまさしく戦場だった。軍部がどう繕おうとしても、現実に連夜の空襲で住む家を焼かれる国民は、戦場と同じように、常に死の意識が隣り合せだった。幸い、空襲を免れた鎌倉に住んでいた私も、横浜の空が赤々と火に染まっている光景を忘れることは出来ない。五月二十四日の東京大空襲の直後、赤坂から麹町、四谷にかけて焼野原となった街のあちこちに、黒焦げの死体が転がっていた。あの光景は何だったのだろう、戦争とはこういうものなのか、唯それが実感だった。
 9.11の同時多発テロで、世界が変わった、とアメリカは言う。三千人の謂れなき犠牲者への悼みと恐怖感が、イラク戦争の大義である、と。それはそれでいい。イラクという国も、国連の決議を踏みにじった無法国家と言われても仕方あるまい。それでもやはり、戦争しか手段がないのだろうかと悲しい。
 日本は、国益を踏まえ、国際社会の責任ある一員として、米国の武力攻撃開始を支持する、と言明した。沖縄や広島、長崎の過去の事実を、リアルタイムで経験した世代には、複雑な思いがするのである。
 あの過去を、次元の違う話と、思ってはならない。

(S・Y)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年5月号掲載
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