「柔軟思考」と「固定観念」

2002年3月30日  毎週日曜日の夜、私は風呂場であることをする−。これが苦になるような、楽しみのような変な気分だが、やらずにはいられないのである。

 サラリーマンの方なら誰でも「柔軟思考」と「固定観念」を、例えば中間管理教育あたりで教えこまれる。私もかつて20年位前に教わったことがあり。他にも色々と有意義なことを教わったのだろうが、これ以外にあまり覚えていない。要するに「固定的な観念にとらわれず頭を柔らかくして問題解決にあたれ、また平常から柔軟な思考で物事を考えろ」ということだと思う。人間はともすれば、「今までこれでやってきているから何の不都合もないはずだ」と考えがちで、変革する気持ちに傾かない。これがいけないらしい。それは新しい芽をつみとったり、問題解決をむつかしくしてしまう。固定的な垂直思考を、いま一度、別の角度から眺めてみたりすることが大切なのだ。今では逆転して(例えば生産者と消費者を入れ替えて考えてみたりとか)発想することも強調されている。脳細胞が半分以上、死滅しているわが頭脳では、かなり苦行でもあるのだが、この昔習った言葉だけはいつもこびりついていて戒めに使っている。

 私の頭は脱毛も進んでいるのだが、白髪もかなりのものらしい。毎週お風呂場で、おもむろに行っているのが”毛染め”である。正確には「ヘア・マニキュア」とやらで、染めているわけではないらしい。ともかく黒々とは仕上がる−そこで私は一週間ひとまず安心して暮らせる。私にとって白髪の方は"分別も十分であり、それなりの落ち着きと殆ど完成されたような人格”の持ち主と思えてしょうがない。私はとてもとてもその域に達していないし、相変わらずバカを言っていたい。それが柔軟な思考につながるのだと間違って確信している。
 だから、孤独な作業を通して白髪を隠している。こんな生活を続けているともう現在、どの程度の白髪頭か分からなくなっている。まっ白だとしたら、悲しい。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成14年4月号掲載
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