ジューン・ブライド

6月の絵  先日、知人の結婚式に出た。新郎新婦二人ともよく知っている間柄なので、挨拶まで軽く引き受けてしまったが、挙式に出ているうちに怪しくなってきた。やはり結婚式には独特の雰囲気があり、必ずしも二人だけのものではないし、「家」もあるし、「生いたち」もある。それが二人の関係を厚ぼったくするから、いつもの二人ではないし、私との関係もいつものそれではない。そんなことを考えているうちに挨拶ではアガってしまった。
 24才の娘をもつ身としては、もはや結婚式とそれに続く披露宴は遠いものではない。値踏みをしてみたり、進行のアラを探したりと落ち着かない。
 そして何よりも"花嫁の父"の心境はいかばかりかと気になった。父上は終わりのところで訥々と娘を送り出す側としての挨拶をされたが、ゆったりとした間があってそれがとても会場の人々のイマジネーションをかき立て、感動的であった。
 「俺には出来ないね」。ウチの父親は私の結婚式にも声をつまらせ、涙を流して、家族からちょっとだけヒヤかされた。涙もろい家系なのだ。とくに両親への花束贈呈なぞは、感動的であり、誰が考えたか、反対できないまでも変な気分の行事だ。
 こうして周囲に祝福され、周囲への今までの厚情を二人が深謝して結婚式は終わる。とても耐えられない。二人にしてみれば自分たちが主役になるのだから張り切っていて、妙にイヤだ。でも感動させられた。これが結婚式なのだ。
 6月、私の娘は25才になる。「ジューン・ブライド」の言葉が耳をかすめる。昔、ヨーロッパでは3・4・5月は結婚が禁止されていて(なぜかは知らぬが)6月に解禁になって、ドッと結婚する人たちが増えたそうだ。それで「ジューン・ブライド」という説や、ローマ神話に出てくる"ジュノーの女神"が若者を幸せへと導いてくれるということもそのいわれになっているとかの説があるそうな。
 赤ン坊の頃の娘に一番最初にキッスをした男性としては、結婚や結婚式に無関心ではいられない。イヤな時節だ。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年6月号掲載
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