悔恨!孝行したい時には親はなし −

4月の絵  過日、私どもの商圏外の女性から電話があり、「鎌倉で一人暮らしの母親の為に、ケーブルテレビの契約をしたい。多チャンネルで楽しい毎日を母親にプレゼントしたい」旨の申し込みがあり、私たちは、いま時、心暖まる話題として感激したことであった。
 小津安二郎監督の名作「東京物語」は私の最も好きな作品のひとつだが、大坂志郎扮する息子が、亡き母の法要で「孝行したいときに親はなし、されど墓に布団は着せられず」と泣くシーンがあるが、私は何度見ても、ここらで必ず泣く破目になる。取りたてて、親不孝をした覚えはないのだが、田舎に父母二人を残して姉弟全員、家を出てしまった家族の長男としては「果たしてそれでよかったのか」といつも疑問に思って暮らしていた。最後は二人とも自分の食事も満足に作れなくなって病院で次々と亡くなったことを思うと、遠くに居て何もしてやれなかった後ろめたさが今も残っている。「東京は階段が多くてイヤだ。」上京の時に、父親はボソッと言って、それからは出て来なかった。
 小学校長を最後に、長い教員生活を終えた父は菊とさつきと魚釣りの毎日を送っていた。映画会社に入った私が帰郷するたびに、ワイドショー的だったが、映画の話を一生懸命に話しかけてくるのに、有難さを感じたものだ。戸籍簿によれば、結婚して6ヶ月後に相手を亡くし、初婚の母と再婚した父は、おかしいまでに私たち子供にそのことを隠していた。父流の親と子の気づかいだったのかもしれない。私たちは、近所の人から聞いてとうに知っていたのに・・・
 核家族が進展し、住宅事情の悪さも手伝って親子関係も変わってきている。私と息子は友達ではないかと時々錯覚してしまう。小さな単位になって、それぞれが自己主張を始め、生きていくことさえ、自分一人で十分やっていけると考え始め、平気で他人のモノに手をつけ、他人の生命さえ傷つける、動物まがいの現代人って何だろうと思う。
 おおぜさに言えば「東京物語」を見て泣く私は、こうした現代人の因子をもつ人間としての贖罪であるかも知れない。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年4月号掲載
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