世紀末と共に

12月の絵  ミレニアム、ミレニアムと騒いでいた今年も、まもなく終わろうとしている。この数年、毎年十二月に一年を振り返ると、同じようなこと書く羽目になるが、今年も有珠山の噴火から、三宅島の地震、噴火、東海地方の集中豪雨、そして鳥取西部地震と大きな自然災害が相次いだことと、思いだしたくもないのだが、少年による多くの殺人事件と、皮肉な言い方をすれば、忘れようにも忘れられない年になってしまった。千年紀と言われてもピンと来ないが、二十世紀の終わりと思うと、わが人生のすべてがその中にあったのだから、最後の年という気持ちがあって、それだけに残念な思いがしてならない。
 唯一明るいニュースは、高橋尚子さんのオリンピック女子マラソン金メダルだ。監督さんやコーチの方、大勢の方々に背中を押されて、気持ちよく走ることが出来ました、と言う彼女の言葉が何ともよかった。誰のためでもない、自分に与えられた仕事を悔いなく精一杯やる、それが家族や自分を支えてくれた人たちに対する誠意だ。オリンピックという場だから、それが結果として国の栄誉となったにすぎない。国民のためと言って選挙制度を変えようとしたり、自らを正すというあっせん利得処罰制度を成立させようとする先生方の心の底に、己の利のためが見え隠れするのと、残念ながらつい比較してみたくなる。
 次の世紀は?ズバリ単的に言えば、携帯電話の世紀、モバイル時代になる。フィンランドという国などは、国民の70%が持っているそうだ。街を歩いていても、電車の中でも、若い人は周囲をはばかることなく、己れと通話している相手との二人だけの世界に埋没している。傍若無人とはこのことである。こうして人は、いたわりとか、思いやる心とか、譲る心といった豊かな精神文化の源を次第に忘れ去ってしまうのではないか。IT革命という社会の潮流で、電波によるコミュニティが無限の拡がりをみせようとしているが、人と人がぢかにふれ合うということの中には、それを超える何かがある筈である。人間の長い歴史は、そうして培われてきたのだから−。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成12年12月号掲載
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