夢の間に

1月の絵  西暦二000年――。響きもいいし、字面もすっきりしている。千年に一度というと、何となく心改まる感なきにしもあらずだが、一方では又まだまだ先のことと思っていたものが、突然来てしまったような、頬っぺたを抓ってみたくなるような気がしないでもない。随分長いこと付き合ってきた”十九――”という表示が、頭から離れそうもない。
 この数ヵ月、生まれて始めて不眠症となり、尾篭な話だが夜半用を足しに床を離れると、それから後が眠れない。確かに気にかかる面倒な問題はあるのだが、そればかりでなく古いことも現在のことも、脈絡なく頭に浮かんでくる。若い頃から、連日アルコールを切らしたことがないせいか、眠れなくて困ることなど全くと言っていい程無かった。夢想という言葉があたるのかどうか、この夢とも現ともつかぬ時間が結構楽しくもある。但し、その分昼間眠気が襲ってくるのは困りものだが・・・。
 この頃、無欲ということを考える。きっかけは、去年の九州場所の大相撲である。十 一日目まで一敗で星二つのリードを保っていた大関出島が、誰もが予想しなかった不調の大関貴ノ浪に完敗、それから三連敗、千秋楽を待たずに、優勝戦線から消えた。前半戦で三敗した横綱同志の決戦となったのだが、あの十二日目、今日勝てばイケルぞという欲が出島の頭の中を掠めはしなかったか。勝負の世界に予測は禁物だが、テレビを見ていて出島の表情にそれを感じた。欲のない人間はいないのだし、若い出島にそれがあったとしても咎めるつもりはないが、絶好のチャンスを勿体なかったと思う。
 無欲というのは、いかなる時も平常心を失わないということか。人生の中で目標を定め、それに向かって邁進するのも一種の欲に違いないが、その達成が見えたときの平常心が難しいのだ。「九仞の功を一貫に欠く」、この言葉がすぐに頭に浮かぶ。
 二000年という節目を、物事の始めとみるか終わりとみるか、何れにしても己を見詰め直す又とない年だと思う。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成12年1月号掲載
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