玉縄城址(二)
(たまなわじょう・あと(二))

 

昭和三十一年(1956)三月建  鎌倉友青会


碑文

玉縄城は永正九年(1512)十月北條早雲の築くところなり 大永(1521-1528)享保(正しくは享禄1528-1532)の頃は北條氏時之に居り 天文初年(1532)より一族北條綱成居城す 天文十八年(1590)小田原北條滅亡の際 城主氏勝降伏し後 城は徳川氏の有となり 程なく廃城となりしものなり

説明

玉縄城は1512年10月に北条早雲(そううん)が築きました。1521年頃から1542年頃までは北条氏時(うじとき)がこの城主であり、1542年からは一族北条綱成(つなしげ)が城主になりました。1590年に小田原の北条氏が亡んだ時、城主の氏勝は降伏し、城は徳川氏のものとなりました。その後ほどなく、城は廃止されました。
位置
植木433-6付近で,T地路角地の東側斜面に建つ


Copyright (C) Kataoka & Hattori / Kamakura Citizens Net 2001 All rights reserved.