阿仏邸旧蹟
(あぶつてい・きゅうせき)

 

大正九年(1934)三月建之
鎌倉町青年会


碑文

阿仏は藤原定家の子為家の室にして 和歌の師範家冷泉(れいぜい)家の祖 為相の母なり 為相の異母兄為氏 為相に属すべき和歌所の所領 播磨細川庄を横領せるを以て之を執権時宗に訴へ其の裁決を乞はんとし 建治三年(1277)京を出でて東に下り 居を月影が谷(つきかげがやつ)に卜す(ぼくす:定める) 即ち此の地なり 其の折の日記を 十六夜日記 と云ひて世に知らる 係争久しきに弥(わた:亘)りて決せず 弘安四年(1281)遂に此に歿(死)す

説明

阿仏尼(あぶつに)は、和歌の名人として有名な藤原定家(ていか)の息子である為家(ためいえ)の妻であり、また名家冷泉(れいぜい)家を起こした為相(ためすけ)の母でもあります。あるとき、為相の義理の兄為氏(ためうじ)が、播磨(はりま:兵庫県)細川にある為相の領地を奪ったので、これを鎌倉幕府(北条時宗)に訴えるために、1277年に京都を出発して、東海道を旅行して、鎌倉の月影ヶ谷(つきかげがやつ)という場所、すなわちこの場所に住みました。その時の旅行記を「十六夜(いざよい)日記」といい有名です。裁判は長引き、生きている間には決着が着きませんでした。1281年に、ここで亡くなっております。
位置
稲村ガ崎2-12-8にある家の北東部端で,線路と道路の間に建つ


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