最新号

− 東日本大震災の復旧/復興を支援しつつ… −

亜郁



暑中、ならびに被災地の皆様にお見舞い申し上げます。


 以下に、私と私の家族が、今までにした被災地への支援を記しました。これは、決して自慢ではなく、読んだ方が1人でも多く行動に移して頂けたら、という思いからです。

 私は、かねてから家内に3度目のアイルランドに行きたいと頼んでいましたが、たまたま大震災後、OKが出ました。そして今、あの国も大変ですが、被災地はもっとひどい、と考え、旅行資金25万円を支援に使うことを決意しました。「東日本大震災支援亜郁基金」です。その基金で、あれこれ活動をすることが出来ました。


01)支援物資の仕分け作業
 3月下旬、私が住んでいる鎌倉市で行われた支援物資の仕分け作業を2日間しました。

02)「くりこま高原支援学校」を拠点に支援活動
 私が10年近く入っていて、あれこれ楽しませてもらっている会からの要請があり、4月の4日から7日まで、宮城県登米市のボランティアセンター(旧鱒渕小学校の体育 館)に行きました。館内には大量の支援物資が山積みされ、奥の方には支援者のテ ントが数十張も置かれています。朝は6時過ぎから朝食、ミーティング、支援活動に 出かけ、夕食、ミーティングという1日でした。

宮城県登米市のボランティアセンター
(宮城県登米市のボランティアセンター−朝日新聞 2011年4月9日の記事より)

 私は、着いた翌日は同行した仲間と気仙沼の北にある唐桑半島に行き、避難所の方々のお話を聞きました。すでに大震災から3週間以上経っていて、支援者の要求も変 わってきている、という校長の話で出かけたのです。ここは、「山は海の恋人」運 動をしている土地で、全国的に良く知られているので、支援物資は沢山届いている ということでした。地震や津波が来たときの話は、ほとんどで出なかったのを意外 に思いました。

 翌日は、北上川の河口から7、8km上流の農家に行き、午前は納屋の泥水だしです。 ただ、汲み出すのではなく、あの白い土嚢にスコップで汲んだ泥水を入れ、1輪車に 積んで、道路脇に捨てに行きます。私は行く前、MLに現地に行くよとメールをした ら、神戸の人から、ついつい頑張りすぎるので気をつけて、と言われていました。 それを念頭にして作業をしましたが、やはり、頑張ったのでしょうか、腰がジンジ ンしてきたのです。この軽いジンジンは、その後1ヶ月以上も、時々ですが、続きました。
 昼休み、土手の上で見たら、自衛隊の車や連合宮城の車、観光バスで来た人たちが、数十人いました。田んぼはまだ洪水の水が引いていませんでした。
 午後は、庭のガレキの外出しでした。この家の父親と高校生の女の子も作業をしてます。 その夜は、昼間、子どもたちにサッカーの指導で訪れた、全日本サッカー監督だっ た岡田さんらの差し入れのお酒を飲みながら、少し質問などしました。 最終日は、午前中、館内であれこれ仕分けをしたり、車への積み込みなどして、昼 過ぎ、現地を離れました。高速道路では、自衛隊のトラックと何度もすれ違いまし た。

03)義援金を5箇所で、○万△千213円。(朝日新聞厚生文化事業団、国境なき医師団、コンビニなど)

04)大船に行ったら、風評被害に悩む福島産のピーマンが売っていたので少し買いました。

05)支援金集めで、わざわざラオスから一時帰国したという若い女性が開いたバザーを知り、出かけました。ラオスの手づくり品がいろいろ並べられていました。私は、安い箸を10倍の値段で買いました。3日後、会場は少し不便な所でしたが、30人ほどが 訪れ、5万5千円を山形ボラセンに送った、とメールが入りました。

06)新聞で、東北3県のアンテナショップ(池袋、八重洲口、東銀座)があると知り、買出しに行きました。かなり混雑していました。浦霞しぼりたて純米酒、湯葉重ね豆腐、フカヒレラーメン、伝承豆腐みそ、さんま水煮、南部そばなどを7千円ほど。

07)松島のカキの「一口オーナー」を申し込みました。商売が再開されたら、商品が届きます。寄付金込みです。

08)同じファンドを、気仙沼のフカヒレとワカメの生産会社にも送金しました。

09)津波などで両親を亡くした子どもに、「あしなが育英会」に毎月2千円、5年間ぐらい送る申し込みをしました。これは、多くもない小遣いから引かれるので、少し辛いところですが…。

10)横浜の南部市場で、風評被害に悩む東北の農家の野菜などを売り出す、との記事を見て雨の中、出かけました。岩手・三陸・久慈 海鮮ラーメン、笹かまぼこなど。

11)東北の「ふるさとファーム」の会員になったら、送金前に10種類ほどの野菜が送られてきました。相次いだ買物で、野菜などが冷蔵庫に入りきらず、折りよく開かれた2つの会で少しお分けしました。

12) 2)の会は、毎週のようにボランティアや車を募集し、現地に送っていますが、その「報告、説明会」で、ここが斡旋している福島のコメを、昨年産米なのに、もう送ってくれなくていい、などと言う者がいたという話を聞き、その農家のコメを注文しました。自然耕コメなので、かなり高かったですが…。

13)支援とは無関係ですが、大震災関係の朝日新聞に載った衝撃の写真、報道・関連解説記事で、私のブログに載せたもの、そして、私が、わが家が行った耐震対策の見直しや、上記支援活動などを記したものをA4サイズ3冊にまとめました。今までで 138ページ。やがて来ると言われている東海沖地震や複合地震・津波などに備えて、 せめて気持ちだけでも新たにするため、折につけ読み返したいと思っています。そ うそう、「鎌倉に津波が来たら」と講演があると知り、申し込んでもいます。


 以上、偉そうに書きましたが、たまたま、基金を設立できたからやれた、という面が強いのは確かです。でも、金のかからない支援もあると思います。既に、あれこれ活動されてい方が多いのに恐縮ですが、ご参考になることも、と思い書かせてもらいました。  

著作:亜郁   制作:ひろさん

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