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大長寺の縁起



岩瀬字北山1464番地にあり、亀鏡山護国院大長寿寺(ききょうざんごこくいんだいちょうじゅじ)と号する。 浄土宗。
もと京都知恩院末。開山:感誉存貞、中興開山:暁誉源栄。開基:北条綱成。
天文17年5月創建。本尊、阿弥陀如来。 境内敷地990.49坪。本堂・庫裡・宝蔵・鐘楼・炊事場・渡り廊下あり。

住職 嵒瀬弘道(いわせこうどう)


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寺号はもと「大頂寺」といったが、徳川家康の寄進状に「大長寺」とあったので、それから今の名に改めたと伝える。大長寿寺ともいう。
感誉存貞は大道寺政繁の甥で大永3年3月に生まれ、永禄6年、増上寺住持、天正2年5月18日に寂した。
2世雲誉円冶。3世源誉存応は観智国師で、江戸増上寺の住持として徳川家康に信任された人。その書状が大長寺肝煎であった岩瀬の梅沢家に残っている。 4世暁誉源栄もまた家康に愛せられた。
寺領は創建の時、東西3町余、南北5町余の寺域と寺田があり、永禄元年、綱成の室、大頂院光誉耀雲をここに 葬り20貫文の地を寄付した(「過去帳」)。天正19年11月、家康は岩瀬の内で50石を寄進した。(「資料編」1の500)。 なお天文18年9月の銘がある北条氏綱室朝倉氏(養勝院殿)の逆修日牌銭12貫文があるが、 これは銘だけからでは大長寺に寄進されたものかどうかわからない。(「資料編」1の498)
北条綱成寄進になる天文17年の銘がある銅雲盤は明治15年の火事で焼失したという。
本堂は明治15年12月、類焼。43年9月再建の勧進をして 建てたもので大震災にも傾斜したのみであった。鐘楼には文政3年9月、西村和泉守藤原政時の鍛造になる銅鐘がかかっている。(鎌倉市史より)

附 記(平成元年7月)

新しく建立した銅葺き屋根の山門をくぐり、寺内に入る広い石段を上がると、手入れの良く行き届いた中庭があり、正面に、 本尊、阿弥陀如来を安置する廻廊に囲まれた宏壮たる本堂が聳えて見える。
中庭の右側、後方竹林に囲まれて庫裡・方丈・客殿あり、本堂へ通ずる 細長く続いた渡り廊下がある。
本堂の裏側にも竹林あり、後方一帯を取囲む山々には年経し杉樹、鬱蒼と林立し、京都洛北の北山杉の木立を 想い起す。
本堂左側に新しく建立し直した鐘楼があり、そばの中庭に推定樹齢百年余に近い銀杏の巨木、天高く聳えたっている。
寺内参道入り口の左山裾に宝蔵 あり、寺宝を収納する。参道を進むと道が二又に別れ、檀家の墓所あり、檀家各家の墓碑整然と立並ぶ。
右側参道を歩んで行くと中腹山裾の一画に ひっそりと、苔むした、北条綱成夫人の墓と、北条一族の墓と伝えられるものがある。
更に左手参道を 上がって行くと両側を山に囲まれた小高い丘あり、ここに開山、歴代高僧住職を祀る墓がある。
寺院周辺を取り囲む一帯の山々は、県の鳥獣保護地域と、鎌倉市指定の保存樹林になっている。

 



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