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薬王寺訪問記

(2004年7月21日)



今回お尋ねした日蓮宗「薬王寺」は、横須賀線北鎌倉駅西口の県道を左に進み、踏み切りを渡り300m位先右の「長寿寺」脇の側道鎌倉七口の一つ「国指定史跡亀ヶ谷坂(鎌倉市扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ道)を入り、坂を上って下り切ったあたり右に薬王寺の石塔がある。
又は、鎌倉駅西口から横須賀線沿いに、今小路通りを寿福寺・英勝寺方向へ歩き横須賀線のガードをくぐる。
扇ヶ谷の岩船地蔵が近くにあり、北鎌倉駅・鎌倉駅どちらからでも徒歩15分位だろうか。

所在地:鎌倉市扇ヶ谷3−5−1



石塔 門前法界塔(石塔)を右に見て、季節には桜が咲き誇る並木の坂道を歩むと境内に至る。
境内正面に本堂、 左に鐘楼、右に庫裏更に本堂裏手にお墓がある。

280年ぶりに屋根を除き増改築された(平成15年6月完成)本堂は、檜木材と欅材が使われ木目の通った木肌に艶ががある。 荘厳な本堂内はゆったりとした内陣に法衣を纏、説法をされているお姿で「宗祖日蓮聖人像」が祀られている。

空梅雨からそのまま猛暑が続く、7月下旬何かとお忙しい中、時間を頂きお話を伺いました。
参道入り口の門前法界塔

本堂の「祖師尊像」は東京の鼠山感応寺に奉安されていました。
徳川家斉の命により制作されたもので、 非常に大きく又お口を開いて説法をされている様子がリアルに彫られています。
この大きさの御像は全国でも5体位しか 現存していません。毎日拝見するたびにお顔の表情が異なるような気がします。
裸像で乳首なども彫られていますが、 6月と10月に行う更衣式で法衣を着替えて頂いています。
(「祖師像」が薬王寺に奉安された由来は 寺宝・文化財のページをお読みください。)

説明札
供養塔
忠長公供養塔説明 徳川忠長公供養塔

寛永年間に甲府で蟄居し、その後高崎に幽閉され28才で自刃した、駿河大納言徳川忠長公の奥方松孝院殿(織田信長次男信雄の息女) によって、忠長公の追善供養が営まれることになり、忠長公の供養塔(鎌倉市文化財指定)を建立しました。
松孝院殿からは忠長公の永代供養のため、莫大な金子と広大な土地の寄進を受け、3000坪の境内に立派な諸堂が造営されましたが、享保5年すべて焼失しました。
墓
墓
蒲生忠知の奥方と息女の寶筐印塔 乳母の寶筐印塔

また、会津若松「鶴ヶ城城主」の蒲生氏郷の孫忠知(ただちか)《四国松山城城主》の奥方と息女が元禄年間に死去し当山の墓所に埋葬されました。
高さ3メートル余の寶筐印塔が残されています。

このように、徳川・蒲生両家のゆかりの寺であったため、寺紋に三つ葉葵が許されているので、一般住民の埋葬は許されず 一般の檀家がなかったこともあり、明治維新の排仏毀釈などもあって、一時期無住無檀の時代がありました。

大正3年、 先々代住職の時から復興に着手し、先代(51世)までの約70年でほぼ現在の山容が整い、現在(52世)に至っています。 本堂は宗祖、開宗開教第750年記念として平成15年改修されました。

祈願
祈願
交通安全祈りの塔 交通安全祈りの塔

上の写真の「交通安全祈りの塔」は、檀家の方ではありませんが、交通事故でお子様をなくなされたご夫妻が、お子様の供養を含め交通安全を祈願して 一生懸命彫られ、このお寺が気に入ったので置かせて下さいと頼まれたものだそうです。

本堂裏の山すそに”やぐら”があり、前面中央に「釈迦如来」左右に「四菩薩」が安置され奥は、永代供養墓(後継者のない夫婦・独身の方専用納骨墓)もあります。

四菩薩 大仏 四菩薩
四菩薩(右)釈迦如来 四菩薩(左)
鐘楼
大晦日には除夜の鐘をつきに大勢の人が集まります。境内では御法水、甘酒がふるまわれ、本堂内では厄除け、家内安全などの祈祷受付があり、新年祈祷会が営まれます。
鐘楼

箸
長時間お話を伺いお暇する際、桜の木で作られた夫婦箸を頂きました。
毎年、御会式の日に(11月3日)檀家の皆様に供物としてさし上げていて大変評判がよいとか。
夫婦箸



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