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最新号

本興寺訪問記

2004年5月15日



朱色の山門を抜けると、見事な「百日紅」と「しだれ桜」のある
お寺日蓮宗・本興寺 を、ご紹介します。

鎌倉駅東口から本覚寺、妙本寺前を南へ大町大通りの交差点を経て、
横須賀線辻踏み切り手前左に山門がある。

所在地:鎌倉市大町2丁目5番32号


副住職様が、お寺の歴史の概略を説明して下さいました。

法華山本興寺と号しますが、休息山本興寺と称した時期もあったようです。
この地は、日蓮聖人が辻説法されたあたりとも云われ、日蓮聖人はこの一帯で辻説法をされたと考えられています。
辻説法の途中で、お休みされたのがこのあたりだったのでしょうか?
「辻の本興寺」とも云われますが、 辻というのはこのあたりの古い地名で、辻説法とどのような関係があるのかは判りません。
縁起 縁起は、「本興寺縁起」(辻本興寺由来)としてまとめてあります。
(縁起のページにすべて転写しています)

開山は天目上人で、天目上人は美濃阿闇梨と号し、中老僧といわれる高僧です。 その後、日什上人がこの地に留錫され、中興の祖といわれましたが、 慶長13年(1608)当山27代日徑上人が「不受布施法門主張」のため、 徳川家康の怒りに触れ、京都六条河原で処刑され一門はことごとく迫害されて、 本興寺も寺取り潰しの命を受けて寺運も全く衰退しました。

取り潰しの際、本興寺のすべての寺宝・資料などは、今の横浜市戸塚区飯田の 「本興寺」に移りました。
その後、比企谷歴代照幡院「日逞上人」が説法旧地の衰退を嘆き、寺門の復興を願い、 徳川家より寺領の寄付を受け、本興寺の中興を成し遂げました。

本興寺の横浜移転については、当寺30代の日顕上人が、「妙本寺末寺本興寺」と「妙満寺末寺本興寺」を切り離し、 妙満寺本興寺を別の地に建立しようと決心したことに端を発したともいわれています。
横浜飯田の「本興寺」には、当寺に伝わっていた寺宝が残っているかも知れませんが記録はありません。

境内には、「聖徳太子」の祠があり、檀家が御参りをしてお守りしてくれている。

祠
聖徳太子をお祀りしている
像
祠内の聖徳太子

又、今は時期を過ぎましたが、30年ぐらい前に身延山から苗をもらって植えた、しだれ桜 と、これからの夏に見ごろとなる百日紅の大木(樹齢不詳)があり、後日それぞれ 盛りの時期に、撮影した写真と入れ替えさせて頂きますが、とりあえず見事な枝振りをみて下さい。
(2004年7月27日に撮影した百日紅の写真に入れ替えました。)

桜
しだれ桜
百日紅
百日紅

このほかにも、「銀杏」の木や「おおきの木」といわれる大木があり、歴史を感じつつお暇しました。