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最新号

来迎寺訪問記

2004年4月6日



今回は「ミモザ」で有名な時宗(じしゅう)のお寺
「来迎寺」
を、ご紹介します。
鎌倉駅東口からバスで5〜7分、徒歩では15分ぐらいでしょうか。

道順は、大町の十字路を右折し、横須賀線踏切を渡り
500メートル位歩くとバス停「五所神社」があり、
薬屋さんと駄菓子屋さんの間の道を入り、
突き当りを左に曲がると「来迎寺」に行けます。

所在地:鎌倉市材木座2丁目9番19号



時宗(じしゅう)を(ときむね)と読まれる方がいますが、このお寺さん訪問記の時宗は鎌倉末期に『一遍上人』が開いた浄土教の一宗派です。
今回も、前回に続き「時宗」のお寺「来迎寺」を訪ねました。

本堂右に、源頼朝につくした衣笠城主「三浦大介義明公」と、石橋山の戦いに敗れて三浦に引き返す途中で、平家の畠山重忠軍に十七歳の若さで殺された「多々良三郎重春公」の墓があります。また、本堂裏の広場に「三浦大介公家来の墓」があり百数基の小さな五輪塔が並んでいます。

お忙しいご住職に、お時間を頂き「来迎寺会館」でお話を伺いました。

開祖の一遍上人は、念仏をとなえながらおどる「踊念仏」を中心として布教を行い生涯、遊行生活を送りました。
一般に念仏踊りと言われますが、信者の方々の踊りと、僧侶が念仏を唱えながら行う「踊躍念仏儀(ゆうやくねんぶつぎ)」とは別のものです。

教本 教本

一般の信者の踊り念仏は、時宗本山遊行寺で「踊り念仏保存会」の方たちが形式を残しています。これは毎年9月23日の遊行寺「開山忌」に公開されています。
僧侶が行う「踊躍念仏儀」は(左の本)、念仏の唱え方・抑揚のつけ方(右の写真)・鐘の鳴らし方・ステップの踏み方などを作法通り行うもので、時宗の僧侶の基本になります。

当寺は、源頼朝が頼朝のために尽くして三浦半島の衣笠城で八十九歳で戦死した、武将「三浦義明」の冥福を祈って建てられました。 当初は、真言宗の「能蔵寺」と言うお寺でしたが、頼朝の死後時宗に改宗し(改宗年代は不詳だが)「隋我山来迎寺」となりました。

5年前、本山の許可を得て開山時の寺号「能蔵寺」から、その名を残すため院号を能蔵院とし「隋我山能蔵院来迎寺」としました。

位牌 壷

本堂には、三浦義明の守護仏といわれる「阿弥陀三尊」の脇に立派な「位牌」があり又、裏山からは、古い壷が発掘され考古学者も調査に来たとかで、来迎寺会館に保存されていました。
額 会館

本堂には、明治五年材木座の大火で類焼した本堂で使われていた、彫刻の素晴らしい欄間があり、参道右には、もと幼稚園として使用していた「来迎会館」があります。

ミモザ 左の「ミモザ」の木は、毎年新聞等でも見頃の紹介記事が掲載され、時期には多くの方々がカメラ持参で訪れ境内は賑やかになります。

写真は、平成16年3月14日に撮影したものです。