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光照寺訪問記

2004年2月29日


今回は、”時宗(じしゅう)のお寺・光照寺“

北鎌倉駅西口を出て、右側北鎌倉女子学園方向に
進み女子高入り口信号の一つ先の信号
(バス停:小坂郵便局)を左折、
小さい橋を渡った右側、石段を上がったところに
山門のあるお寺です。

「しゃくなげ」がたくさん本堂脇に植えられています。

(北鎌倉駅から徒歩5〜7分ぐらい)

所在地:鎌倉市山ノ内827



石段を上がり、鎌倉にはこのお寺しかない「四脚門・虹梁棟束式」で、欄間に「くるす紋」を掲げた山門を抜けると、樹木の先、やや左に本堂があり右に客殿があります。境内はさほど広くありません。

*「くるす紋」は九州中川藩(キリシタン大名)の家紋。 この山門は中川藩江戸屋敷の菩提寺「東渓院」のものを移築したとのこと。

山門 紋
山門 くるす紋

光照寺の創建が弘安初期(1279から1280年)頃といわれていますので鎌倉でも古いお寺ではないかと思われます。



何かとお忙しいご住職に、うるう年の29日(日曜日)午後にお時間を頂きお話を伺いました。

お寺の山号西台山は、幕府から見て西の高台の方角に在ったからでしょう。当時のこのあたりの人口は多かったと思われます。

開山は「一向俊聖上人」(いっこうしゅんじょうしょうにん)です。
「一向上人」は、時宗の宗祖「一遍上人」と同時代の人で、念仏聖(ねんぶつひじり)です。
当寺の本山は、藤沢の清浄光寺(遊行寺)ですが、開山の「一向俊聖上人」の関係から、滋賀県の米原町・番場の浄土宗「蓮花寺」の流れをくむお寺ともいえます。

このお寺の場所は一遍上人法難霊場といわれ、鎌倉での布教念仏のため鎌倉の北の入り口、小袋坂(巨福呂坂)から鎌倉に入ろうとしましたが、執権北条時宗の警護の武士に阻止され、木戸の外で一夜を明かし踊り念仏をしました。

絵巻 翌日「かたせの館の御堂」に現れ、数日後「かたせの浜の地蔵堂」に移り4ヶ月ほど滞在し踊り念仏で民衆に仏教をひろめます。

これらの情景が「一遍上人絵巻」(左の写真)に活写されています。
時宗が当時大衆に受け入れられた様がこの絵巻によってよくわかりますが、この絵巻がどの様な経緯で製作されたかは謎のままです。
制作費もかなりかかったと思われます。

左の絵図は「国宝」となっていて現在は国立博物館に保存されています。

(註:この一遍上人絵巻『鎌倉入りの図』は光照寺のパンフレットから転写させて頂きました。)


右の写真は、本尊の「阿弥陀如来立像と両脇侍(観音菩薩・勢至菩薩)」で鎌倉市の指定文化財となっています。

当寺の仏像はすべて室町時代に製作されたものです。

お寺の過去帳は、亡くなった方の年月日・俗名・戒名などを記したものですが、市の戸籍よりも事実を証明できる場合があるようです。
本尊

光照寺の過去帳と、フィリピンのルソン島で保管されている資料を付き合わせれば色々なことが判ります。

当時はこのあたりにキリスト教信者がたくさんおられたようです。
この近くの庄屋の家の古文書に「キリシタンの首が切られた」と書いてあったのを拝見したことがあります。

長時間ご住職のお話を伺い、椿が満開の境内でお話の内容をどうまとめようかな、とひとり言をもらしたところ、「文章をまとめるのは大変だね」とご住職に励まされました。
お寺の歴史の一部をうまくまとめられたか?若干不安ですが・・・

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