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宝善院訪問記

2003年12月9日


鎌倉市腰越の「真言宗・宝善院」を、平成15年12月9日に訪問しました。 師走の寒い日でしたが、お天気はよく御住職が快く取材に応じてくださいました。

宝善院は、腰越中学の近所です。江ノ電「腰越駅」から川沿いの道を歩くと、宝善院の看板がある わき道を左に入ります。または、大船方面から湘南モノレール「片瀬山駅」下車か「目白山駅」で下車すると、両駅の中間あたりを東側へ坂道を下りながら進んだところです。

どちらのコースとも、徒歩12〜13分位です。

所在地 : 鎌倉市腰越5丁目13番17号



山門手前左でお地蔵様がお迎えしてくれます。山門を入ると正面に本堂、左客殿と弘法大師様、右に庫裏、更に大師堂があり玄関奥に観音堂が配置されています。
本堂脇のお部屋で、取材子には難解なことが多かったが御住職が丁寧に御説明をして下さいました。
宝善院山門

宝善院山門
お地蔵様

山門手前左のお地蔵様
大師堂

境内右にある大師堂
密教は弘法大師が体系づけましたが、弘法大師より90年ほど前に誕生され、加賀の白山(山岳信仰)の開山でも知られている福井県出身の泰澄大師が、この地に十一面観音さまを勧請し泰澄山瑠璃光寺・加持山霊山寺として開山されました。

開山の泰澄大師は江ノ島神社や龍口明神社などにも籠もり修行したと伝えられています。

本尊の『薬師如来』は聖徳太子の作と伝えられていますが、最近の調査では鎌倉前期に作られたのではないかと言われています。
又、『十一面観音』も室町時代の作ではないかとも言われています。

十一面観音菩薩は、現世利益の密教系の仏様(加持山宝善院霊山寺)のもの。
薬師如来は、東方の仏様で(泰澄山宝善院瑠璃光寺)のもの。

江ノ島神社が金亀山与願寺(「江嶋寺」京都仁和寺の末寺)と称されていた頃「金亀院(上之坊)」「岩本院(中之坊)」、「下の坊」がありました。
宝善院境内の小高い場所に金亀院・岩本院歴代住職のお墓があります。
墓
岩本院住職の墓
墓
金亀院住職の墓
墓
現在の岩本楼の墓

五頭龍(ごずりゅう)を御神体とする「龍口明神社」も、開山の泰澄大師以来関わりがあり寺領も「龍口寺」付近までがあったようで、江ノ島やこのあたりの地名である津村そして龍口明神社別当でもあった当時の寺勢がうかがえます。

◇座禅について
月輪
[真言宗の禅(観法)] 左右の写真は「阿字観(あじかん)」といわれ、書かれている文字は(『ア』)です。白い丸の部分を「月輪(がちりん)」といいます。字やハスのない「月輪観」というのもあり、真言密教の座禅はこの二つが重要です。これを見ながら意識を集中させ(雑念は別途おき心を集中させる)座禅をします。
禅宗の座禅は面壁座禅で「自己心身の動静を確認する」といいます。真言の座禅とは作法が異なりますね。

◇曼荼羅について

真言宗の本尊「大日如来」の徳を、私たちにわかりやすく図絵で表したものが両部の曼荼羅です。
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅は、真言宗のお寺には必ず左右に飾っています。
曼荼羅

金剛界曼荼羅
曼荼羅

胎蔵曼荼羅
チベットの寺院に入ると壁面全部に曼荼羅が表現され圧倒されます。真言宗はチベット密教と兄弟の関係にあるのかも知れません。

◇日本人の宗教心について

御住職は、「日本人には宗教心が無いという話を聞きく事がありますが、日本人はありのままを受け入れる事が可能なので、自分の宗教を主張しないだけではないでしょうか?神道を受け入れ、神に手を合わせ、キリスト教の信者と一緒のときはそれを受け入れることが可能な国民性です」。
「聖徳太子の『和を持って尊しとなす』を知らず知らずのうちに実践しているのかも知れません」。と、いっておられました。

取材を終えて
千両
今までのお寺さん取材の中でも、私たちには難解なことが多くありました。
御住職は幼稚な質問にも時間をかけて丁寧に説明(解説)をしてくださいました。
仏教に普段馴染みの薄い?取材子が御住職のお話をどうにか整理し(割愛したことが多いが)「訪問記」としてまとめてみましたが、宝善院の紹介記事になったでしょうか。
長時間に亘りご説明頂いた御住職はもとより、奥様からも昼食をご馳走になり取材子三人は境内の隅で黄色の千両を珍しいねと言いながらお暇しました。


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