佛行寺の由来




佛行寺の由来

鎌倉時代の武将「梶原源太景季」の片腕が埋められているという「源太塚」は笛田の山の尾根が平野にのびる小高い山の山頂にある。

梶原景季は、頼朝の死後鎌倉を追われ、父景時と共に駿河で討ち死にした。
その死を悲しんで妻の信夫(しのぶ)はこのあたりで自害し、後にその霊は毎夜夫を偲び泣き続けたという。

その声を聞いた村人がその霊を慰めようと、明応4年(1495年)に佛性院日秀上人にお願いしこの地に庵を結んだ。これが佛行寺の縁起といわれている。

佛行寺は五百年以上も続いている寺院である。


三十番神
三十番神・平野大明神・16日
佛行寺には、三十番神(さんじゅうばんじん) という三十体の像が伝わっている(非公開)。

三十番神は一ヶ月30日の毎日のお守り神で そのうちのひとつが、笛田の鎮守「三嶋神社」のご神体とも言われている。

古くから、佛行寺の住職が三嶋神社の別当を兼ねていたので、現在も正月3日間朝の勤行を行っている。

江戸時代まで「佛光寺」と称されていたが、それ以降は現在の「佛行寺」となった。

五百余年続いている佛行寺のご住職は現在32代目である。


本堂再建

昭和36年6月、集中豪雨のため本堂裏山の崖崩れで本堂が倒壊した。

昭和37年、本堂を再建し、さらに約20年前内陣を大きくした。

昭和38年、書院を建立したが、平成12年に書院改築を行った。

集中豪雨で、崖崩れがあった場所は、きれいな庭園として整備され、書院の廊下からながめるとその痕跡すら無い。


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