浄妙寺訪問記 2003年8月18日 臨済宗鎌倉五山第五位、建長寺派の稲荷山浄妙寺を訪問しました。 JR横須賀線鎌倉駅東口から、京浜急行バス、乗り場5番のバスに乗車、 浄明寺バス停で下車、降りた所から参道が始まっています。 所在地:鎌倉市浄明寺3丁目8番31号
山門を入ると、下の写真のように小道の両側に手入れ行き届いた草木が続き、奥に緑青色の大きな屋根が映える禅様式の本堂正面が見えます。 本堂裏の墓地には、当寺中興開基貞氏の墓塔と伝えられる足利貞氏の墓(鎌倉市指定有形文化財)があります。
8月上旬の施餓鬼法要のお勤めをすませ、月末には又多忙となられるご住職のつかの間のお時間を頂きお話を伺いました。 歴史のページに記されているように、当初は密教系の寺院で極楽寺と称したが、建長寺開山蘭溪道隆の弟子「月峯了然」が住職となって禅刹に改め寺名も浄妙寺と改称した。 鎌倉時代の執権北条時頼が禅宗に関心を持ち、武家社会に受け入れられ純粋の禅道場が生まれ普及した。鎌倉が禅の源流と言われる所以である。 お寺の正式名称は稲荷山浄妙廣利禅寺というそうです。 お寺右手に「本寂堂(三宝荒神)」、その奥に「鎌足稲荷社」、お寺左手に「熊野神社」 と三つの神社がありますが、昔は現在バス停側の駐車場になっている場所に「諏訪神社」 があって四方神(お寺の四方を守る神)としてお寺をお守りしていたとか。 本寂堂の三宝荒神立像、伽藍神倚像、鎌足稲荷社の藤原鎌足坐像は写真集のページを見てください。 境内左手の「熊野神社」は当寺の鎮守で、もと浄明寺地区の村社。
写真左の鎌足神社は、山門右手の道を少し奥に行った山腹にあります。(案内板がある) 本寂堂(三宝荒神)は鎌足神社の手前右手小高い所にあります。
このあたりの現在の地名は「浄明寺」で、お寺は「浄妙寺」、この「明」と「妙」とのいきさつを伺いしました。 お寺の周りに禅の修業場所として、修行者が集まり生活をするようになって浄妙寺村となりました(近くの稲荷小路にある石塔に浄妙寺村の記名がある)。江戸時代になって、当寺中興の祖足利貞氏の戒名が「浄妙寺殿」であるので、尊敬の念から地名を浄明寺と改められたそうです。
また、足利直義創建の大休寺跡地にある「石窯ガーデンテラス」は、大正時代に建てられた元貴族議員のお屋敷で、参拝に来られる方々の憩いの場所として、季節の庭を眺めながらお食事、ティータイムを楽しむことが できます。薪を焚いて石窯で天然酵母を使用したパンを焼き上げてくれます。近くにある昭和時代初期の洋館建物「旧華頂宮邸」と併せて女性に人気の場所となっています。(写真集を見てください) 雨続きの、夏にしては低温の日でしたが、物静かなご住職のお話を伺い取材子一同心休まる気持ちになっておいとましました。
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