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称名寺訪問記

(2003年6月3日)



鎌倉の「今泉不動」として知られている、浄土宗「今泉山一心院称名寺」

新緑が山懐にたたずむ境内の建物を静かに包んでいる時期でした。
称名寺へは、JR大船駅東口湘南モノレール駅下のバスターミナルから
江ノ電バス「鎌倉湖畔」行きでバス停「今泉不動」下車。
焼却場の煙突を目指して進み、ゴルフ場「鎌倉カントリー入口」
を右に見て正面に称名寺への参道が続く。

(大船駅からバスで15分位、徒歩5分)
所在地:鎌倉市今泉4丁目5番地




緩やかな参道を進むと掘割の左に六地蔵が迎えてくれます。
左に庫裏その奥に本堂、庫裏の正面に勢至丸像があります。
さらに進むと左に弁天堂、脇の石段を上がると不動堂です。
その右奥に三十六童子、その上には大日如来石像がある。

参道
六地蔵
参道入り口 六地蔵

お忙しいご住職にお時間を頂き、お話をお伺いしました。

今泉不動(通称)として名が知られていますが、地元の人々には、精神病患者の保護療養施設があったことでも知られていました。

お寺に保管されている施設の図面や書類等を拝見させて頂きました。その概略は、古来より境内安置の不動尊の霊感を信じて、精神障害者が参籠静養をする習慣がありました。
先々代住職が精神病の父と言われる「フィリップ・ピネル」の影響もあり、大正14年に
「今泉山静養所」を創立しました。

迷信的要素を排除した近代医学・心理学的基礎の上に貧困な不遇者を収容しました。
さらに昭和12年に施設の大改修をしました。嘱託医は、鎌倉の甘粕医院が担当されました。

静養所内の日常は、患者により水治療(滝に打たれる?)或いは軽作業をしたり、休息を与えつつ心身の 鍛錬に勤め、良好な自然環境の中で快癒させ人格陶冶にも努めました。昭和15年の資料によると、創立来からの収容延べ人数は99,458人にも上っています。建物は、木造2階建ての本館と別館・付属建物で、全5棟でしたが、昭和37or38年頃老朽化のため解体されたそうです。
又、戦争中は海軍が仮繃帯所として使用し、戦後は引揚者収容所に、そして母子家庭の人々が
居住されていたこともあるそうです。

先代
施設
先々代住職ご夫妻 今泉山静養所全景

本堂右脇に、”ほたるの養殖池”がありご住職夫妻が長年に亘り続けておられ、近くにある
鎌倉市の「散在ヶ池森林公園」通称鎌倉湖にも放たれ、お寺でも毎年6月初旬に
「ホタル鑑賞の夕べ」を開催している。今年は、昨年より育ちが遅いとか。

本堂
蛍池
本堂 ほたる養殖池

近くのお寺で廃寺となった”榮泉寺”のご本尊を安置した大ホール「榮泉の間」 があり、葬儀・法要のみならずお寺の施設を昔は”寺小屋”として使われて いたように、地域の人々のために自然や文化を紹介し楽しむ場所としても 有効に活用されている。
ご住職の幅広い人脈で声楽家・演奏家が無料で 出演される、コンサート等を催しています。例えば中国人による中国琵琶と日本人の尺八の 演奏なども企画された。
又、「エコクラブ」の支援もし、毎年開催されるカルチャーで今年のテーマは、”鎌倉の緑と野鳥のフォーラム”で、来年のテーマは ”昆虫”だそうです。

お寺は死者を弔うだけでなく、生きている人への楽しみも与えたい、というお考えで先代住職も、 教育や音楽活動を開設して青年団の強化に尽くすなど地域社会教育に熱心な方であった。

榮泉の間
本尊
榮泉の間(ホール) 榮泉の間の本堂

弁天堂
今の弁天堂が建っているあたりが昔の地蔵堂があった所とか。
60年に一度ご開帳される秘仏であったが、
今は年3回(正月・5月・9月の28日)
お不動様の縁日にご開帳されている。弁天様の周りに、色々な職業の人や牛・馬の像があり弁天様は、音楽に限らず農・商・工の神様であった。

弁天様は写真集のページを見てください。
弁天堂

不動堂
滝の音を聞きながら、コケの生えている石段をゆっくりと登ると不動堂がある。堂の前に一つになた陰陽石があり、右手後ろに三十六童子が山腹に並び、童子を背後から見守るように石段の上に大日如来像が安置されている。

不動像・大日如来像・三十六童子は、写真集のページを見てください。
不動堂


川のせせらぎを聞きながら、今年のホタル鑑賞の夕べに、ご住職夫妻が育てられたホタルの小さな明かりが飛び交う姿を、大勢の人々が楽しんでいる様子を想像しながら、山懐で緑に包まれた称名寺を辞しました。

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