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等覚寺の歴史


当寺は、鎌倉市梶原一丁目九番の二に在り、山号を休場山(きゅうじょうざん)と称し、高野山真言宗で応永年間(1394年〜1428年)秀恵僧都(しゅうえそうず)の創建といわれ本尊は 不動明王である。

「相模国準四国八十八ヶ所第二十一番札所」とされ、境内に文政三年(1820年)四国第二十一番札所の阿州大龍寺写しのお大師様がある。

鎌倉市史社寺編など各種資料によれば当寺は昔、御霊神社と境を接していたと言われている。
このあたりは、一時彦根候”井伊掃部頭”の領地で(弘化四年〜安政元年「相模国鎌倉郡村史」より)お寺にある「山門復興時の棟札」に願主井伊直弼掃部頭の文字がある。
境内に、明治六年「訓蒙学舎」が建てられ、明治八年「梶原学校」と改められた現在の「深沢小学校」の前身である。



・・・ 寺  宝 ・・・

本尊木造不動明王
木造虚空菩薩立像
出世子育て地蔵

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